枕瀬に人が住み始めたのは?

地下3mに古代聚落?
畑の表面から土器片(縄文文化後期)、畑の斜面から磨いたと思われる両刃の石斧(弥生文化中期)、が発見されています。
また、吉賀川・津和野川の上流地域に新石器時代の終わり頃の石器を使う人々の生活の跡があります。
これらのことから、2500~3000年前にはこの地域に人々の最初の生活があったものと思われます。

石見の国の起源
約1370年前、大化元年(645年)の大化改新によって石見の国が定められ、この地方は美濃郡の鹿足郷(吉賀郷とも云う)の内に含まれました。

鹿足郡の起源
その後、津和野川流域が著しく発展し、承和10年(843年)5月に、津和野川流域の地域を能濃郷と呼ぶようになりました。そして能濃郷は美濃郡の一部であった鹿足郷と一緒になって、鹿足郡(鹿足郷+能濃郷)が生まれ、美濃郡から独立した一郡となりました。

人口の目安
一郷は凡そ50戸で構成され、一戸は一所帯からなり、平均して20人程度が一緒に暮らしていたと推察されますから、約1000人ぐらいが一緒になり郷として暮らしていたものと考えられます。

「日原町史:沖本常吉氏編纂」を参照