天領「日原村」について

天領「日原村」は、現在の津和野町商工会日原支所がある一帯でした。
天領「日原村」
徳川幕府の時代に、日原村は直轄領支配地となり、石見銀山大森代官所の支配下に置かれ、日原村だけが飛び地となって周囲は全て津和野藩の村々に囲まれました。
吉見氏時代から永い間周辺が同じ村落であった所に、地下資源(銀・銅)があることで突然狭い村落を区切って一つの隔離された村をつくったことによって、周囲の村々とは異なる「天領気質」というものを生み、周囲との紛争の原因となったようです。

銀・銅鉱山として採掘された時期
慶長以前(-1595年)に銀鉱脈の露頭が発見され、寛永年間(1596年~1643年)まで主として銀鉱の採掘が始まり、慶安頃から延宝頃(1650年~1680年)までの間は銅の採掘がおこなわれ元山坑が開坑されました。

その後休山となり、元禄頃(1688年~1703年)朱色坑が開かれ享保年間末(1735年)に中断され、明和頃(1764年)採掘が始まり天保頃(1830年)には最盛期を迎え、その後明治(1868年)まで断続的に採掘されたようです。

生産組織
日原村は直轄御料地であっても、大森銀山のような直営の「御直山」ではなく、「自分山」と呼ばれる個人経営の山で、その持ち主は山師(銅山師)で、一坑毎に所有し、発掘権に対して租税を納めていたようです。
幕府は、盛大な山は悉く「御直山」として直轄しましたが、日原銅山はその規模が小さく銅山師が採掘・精錬を兼業しており、笹ケ谷銅山が一時的に「御直山」となった、ようなことはありませんでした。

「日原町史:沖本常吉氏編纂」を参照