つらい別れ 2008,06,08

20才年下の甥っ子の逝去の知らせを受け、「のぞみ」に乗って大阪へ向かった。
ここ十数年は、飛行機か自家用車を使って東海道を行き来していたので、
「のぞみ」は、初体験に近かった。
新横浜の駅も随分変わっていたし、車窓から見る景色も久し振りであった。
若い頃に仕事で通った、熱海、新富士、静岡、名古屋・・・・・・・
今日の富士山のように晴天でありながら薄っすらとしか記憶に残っていない。

上司や友人の弔辞から想像される甥っ子の生前の様子は、
僕が知る彼のそのままの姿で、何だか安堵感を感じた。
最後のお別れで花に囲まれた彼の姿を見て、人には言えない「羨ましさ」を覚えた・・・・・・
・・・・・・「彼は人生を無事に終わることが出来たのだナ-」と・・・・・・
こんなこと思った事も無いのに・・・・・・・・
自分の心の中に人生を全うするという意識が芽生えているのかナー
「生れ故郷でお別れ会を・・・・・」といって、
長男の遺骨が入ったリュックを背に担いで帰路につく兄貴の姿は、いつまでも僕の記憶から消え去るることはないだろう。
そして、機会ある毎に、兄貴夫婦のこの時の姿を思い出して涙が湧いてくるだろう。
何も出来ない僕は、せめてもの気持ちで兄貴夫婦が宿泊する新大阪のホテルまで送って行った。
これが兄貴夫婦に対して出来る僕の精一杯のことだった。

暫定税率 2008,05,05

納得がいかない
暴かれる国土交通省の無駄遣いは怪しからん話だが、
これは今に始まったことではない、ずっと長年続いていた事だ!
このことを知らせなかった、また知らなかった、いづれにしても国会議員がだらしない。
それが今度は、参院で2ヶ月もほったらがし、再可決して「ガソリン消費月間」終了 なんて・・・・・
一方的に今の政府が非難されるのは、納得がいかない。

先日のハーバークラブの講演会で三島健二郎氏が言われていたように、
日本人は危機管理が出来なくなって・・・・・・
・・・・・・・他人の所為にすることしか考えられ無くなったのか。
本当に国民のことを考える気持ちが野党にあったなら、
なぜ、参院で少しでも是正する論議をしなかったのか。
相手を非難して自分達に有利に展開することのみを考えるなんて情けない・・・・・・・・。
こんな失礼な論議ばかり放映する昨今のテレビ情報も偏り過ぎていないのか。
与党も信用できない、増してや野党はさらに信頼できない。
一ヶ月の「ガソリン消費月間」が過ぎて、ガソリン代はうなぎのぼり・・・・・?
迷惑を蒙ったのは、ガソリンスタンドと地球温暖化を真剣に考えている人たち・・・・・・・?
なんと馬鹿・馬鹿しい一ヶ月だったことか

酒と泪と男と女 2008,05,01

NHKテレビで「歌伝説・河島英五の世界」という番組を見て感動した。
河島英五といえば、
「野風増」や「酒と泪と男と女」、「時代おくれ」を歌う歌手だという事ぐらいしか感心が無く、
酒場のカウンターで「時代おくれ」を歌う時、名前を思い出す程度であった。
しかし、今後は至る時で思い出すに違いない。

ライブ活動時代の数々の知らない歌の場面が放映された。
河島英五の歌に、五体全体から迸り出る、自然や命や心の情景歌で、
時の移り変わりに向き合った哲学のようなものを感じた。
ある解説者が「山頭火」のようだと言ったが、
山頭火は人々の生き方から逃げていた感じがする、
河島英五は人々の中に求めて行く、全く逆な部分があり、吟遊詩人といった方が良さそうだ。
アフガニスタンやインドを旅した場面の後、四国おへんどライブの場面の時、
フッと北極で亡くなった河野兵市さんを思い出した。
河野兵市さんを知ったのは、
島根県浜田市の三隅町で開かれた「Reaching Home」のキャンペーンに出席した時だ。
「Reaching Home」というのは、
探検家である河野兵市さんが北極点から故郷へ単独歩行で帰郷するという企画だった。
その道中に山陰道が含まれており、道中の人々で応援しようというものだ。
浜辺のホテルで講演があり、河野兵市さんの情熱溢れる講演を聞き、握手を交わし、
その成功を祈った。
会場を隣の建物に移し、海に突き出たデッキの上で演じる石見神楽を一緒に観賞した。
夕暮れにかがり火を焚いた会場は、石見神楽を浮き立たせるに最高の雰囲気で、
今迄の神楽の中で最も感動したものだった。
河野兵市さんも非常に楽しんでおられたが、なんとなく背中に寂しさを感じた。
あの感じはなんだったのだろう?
その後、北極点に到着される前に、行方不明となり、クレーターに落ちて死亡されていたとの
訃報が伝えられた。
残念で堪らない、その当時を思い出した。

♪  元気出してゆこう  ・・・・・・・・
♪  声をかけてゆこう  ・・・・・・・・
♪  サムライでゆこう  ・・・・・・・・
♪  日本男児でゆこう  ・・・・・・・・

死刑判決 2008,04,28

9年も掛かって死刑判決がやっと下された。<br>
被害者が、テレビの記者会見で質問に応じて語った言葉を、
「死刑の是非ではなく、死刑が下されるような犯罪を如何にして無くすかが論じられるべきだ」
重く噛み締めたい。<br>
審議の途中から、加害者が主張を始めた、
「強姦」⇒「死者の復活」  ・・・・
本当に自分が事件現場で考えていた事か?問いただすチャンスがあって良いと思う。<br>
もし、それが他人から授けられた虚偽の証言であったとしたら・・・・・・<br>
長引いた被害者や関係者の苦悩、そして加害者が正常な心に戻れた時の苦悩・・・・・・
それを作り出した他人は第二の加害者ではなかろうか?<br>
不可抗力であったか否かは問われてしかるべきとしても、
殺人など重大犯罪は、結果責任で問うべきだと自分は思っている。
意思の有無や、判断力の有無等、関係なしに裁かれねば、人々の暮らす環境は良くならない。<br>
凡そ,人間という生き物は自分勝手で好きな事をする。
だから、決まりごとをつくって厳しく規制しないと、みんなで平和に暮らすことは出来ない。
理屈ではないことと思う。
そんな事を無視して、個人情報保護法とか行き過ぎると世の中狂ってくる。
また、フセインが正義かブッシュが正義かなんて、
そんな正義よりも、規制し合って平和に暮らすことの方が余程大切だと思う。
人が人を裁く事の困難さ、日本も裁判員制度が来年始まるという。<br>
自分に回ってこない事を祈るばかりだ
9年も掛かって死刑判決がやっと下された。
被害者が、テレビの記者会見で質問に応じて語った言葉を、
「死刑の是非ではなく、死刑が下されるような犯罪を如何にして無くすかが論じられるべきだ」
重く噛み締めたい。
審議の途中から、加害者が主張を始めた、
「強姦」⇒「死者の復活」  ・・・・
本当に自分が事件現場で考えていた事か?問いただすチャンスがあって良いと思う。
もし、それが他人から授けられた虚偽の証言であったとしたら・・・・・・
長引いた被害者や関係者の苦悩、そして加害者が正常な心に戻れた時の苦悩・・・・・・
それを作り出した他人は第二の加害者ではなかろうか?
不可抗力であったか否かは問われてしかるべきとしても、
殺人など重大犯罪は、結果責任で問うべきだと自分は思っている。
意思の有無や、判断力の有無等、関係なしに裁かれねば、人々の暮らす環境は良くならない。
凡そ,人間という生き物は自分勝手で好きな事をする。
だから、決まりごとをつくって厳しく規制しないと、みんなで平和に暮らすことは出来ない。
理屈ではないことと思う。
そんな事を無視して、個人情報保護法とか行き過ぎると世の中狂ってくる。
また、フセインが正義かブッシュが正義かなんて、
そんな正義よりも、規制し合って平和に暮らすことの方が余程大切だと思う。
人が人を裁く事の困難さ、日本も裁判員制度が来年始まるという。
自分に回ってこない事を祈るばかりだ

敬老パス 2008,04,27

敬老パスの受取方法の手紙が届いた。
早速、近くの今井町郵便局へ出向いて購入した。
誕生日の前日から9月30日まで有効で、¥1,660を支払った。
今後、出来る限りバスで移動する積りである。
横浜市を走るバスには、市営バス、相鉄バス、神奈川中央交通、横浜神奈交など14社に上る。
如何すれば便利に利用できるか研究するのも楽しみだ。

早死に奨励制度 2008,04,22

次は、「高齢者早期死亡奨励金制度」なんて云うのが国会で通ったりして・・・・・
貧乏人はみんな率先して早く死ね!見舞金を出してやるから・・・・・・
馬鹿げたことだが、こんな事を考えたくなる今日この頃だ。

後期高齢者とかいう制度、2年も前に国会を通過して、施行段階で国民が知り大騒ぎ。
国会議員が良いだの!悪いだの!・・・・・・・・アホか 😡
自分達が2年も前に決めた事ではないか!!
議員も役人もみんな無責任過ぎるよ。本当に!

また、おばあさんが見ず知らずの20歳代の青年に刺殺される事件が起こった。
この青年も無職だ!!
職も無い、金も無い、希望も持て無い、無い無いづくしではやる方なし。

なんて世の中になったのだろう。
普通の人だって、生きて行くのが嫌になっちゃう。
身近な所からみんなで何とかしなくちゃ!!

運転免許更新 2008,04,16

相模鉄道二俣川駅から試験センター行きのバスに乗って5~6分で着いた。<br>
先ず、一番窓口で現在の運転免許証を差し出す。<br>
運転免許証と共に申請用紙が返ってくる。<br>
申請用紙に住所氏名生年月日、現在運転可能かどうかを番号で記入する。<br>
印紙売り場に行って¥2,100の印紙を購入し申請書に貼って、二番窓口に出す。<br>
申請用紙がチェックの印鑑を押され返ってくる。<br>
三番窓口で目の検査を受けるのであるが、三重の列になっていて時間が掛かりそう。<br>
意外とスムーズに進行して、目の検査が終了し、4番の窓口に申請書を出す。<br>
10分程度待ったら、8番の窓口を指定され、そこで写真を撮って、<br>
数分したら新しい運転免許を渡され<br>
「これで終了です。ご苦労様でした。」<br><br>
試験場について大勢の人が並んでいるのを見たときは、随分時間が掛かるだろうと思ったが、<br>
予想よりずっと早くできた。その間約30分。<br><br>
印紙売り場では、高齢者更新ですというと「¥2,100です」といって、申請書を要求された。<br>
親切にも、印紙を申請書へ貼ってくださった。<br>
後の若者のときは、印紙だけ渡された。<br>
労わって貰ったのだな・・・・・・と嬉しかった。<br><br>
目の検査では、最近視力が落ち近くが見えないので、<br>
最初から気を利かせた積りで眼鏡をかけた。<br>
ところが丸が重なって見えづらくモタモタしてたら、検査員から最低ぎりぎりですよ・・・・・・<br>
眼鏡をかけないで・・・・・・・<br>
乱視が入っていると駄目です・・・・・・と<br>
眼鏡を外すと、はっきり見えて問題なし・・・・・・・<br><br>
気負わないで素直にいこうよ!<br><br>
相模鉄道二俣川駅から試験センター行きのバスに乗って5~6分で着いた。<br>
先ず、一番窓口で現在の運転免許証を差し出す。<br>
運転免許証と共に申請用紙が返ってくる。<br>
申請用紙に住所氏名生年月日、現在運転可能かどうかを番号で記入する。<br>
印紙売り場に行って¥2,100の印紙を購入し申請書に貼って、二番窓口に出す。<br>
申請用紙がチェックの印鑑を押され返ってくる。<br>
三番窓口で目の検査を受けるのであるが、三重の列になっていて時間が掛かりそう。<br>
意外とスムーズに進行して、目の検査が終了し、4番の窓口に申請書を出す。<br>
10分程度待ったら、8番の窓口を指定され、そこで写真を撮って、<br>
数分したら新しい運転免許を渡され<br>
「これで終了です。ご苦労様でした。」<br><br>
試験場について大勢の人が並んでいるのを見たときは、随分時間が掛かるだろうと思ったが、<br>
予想よりずっと早くできた。その間約30分。<br><br>
印紙売り場では、高齢者更新ですというと「¥2,100です」といって、申請書を要求された。<br>
親切にも、印紙を申請書へ貼ってくださった。<br>
後の若者のときは、印紙だけ渡された。<br>
労わって貰ったのだな・・・・・・と嬉しかった。<br><br>
目の検査では、最近視力が落ち近くが見えないので、<br>
最初から気を利かせた積りで眼鏡をかけた。<br>
ところが丸が重なって見えづらくモタモタしてたら、検査員から最低ぎりぎりですよ・・・・・・<br>
眼鏡をかけないで・・・・・・・<br>
乱視が入っていると駄目です・・・・・・と<br>
眼鏡を外すと、はっきり見えて問題なし・・・・・・・<br><br>
気負わないで素直にいこうよ!<br><br>

運転免許更新のための高齢者講習 2008,04,12

4月4日、KANTO Mスクール西口校へ高齢者講習を受けに行った。
70才になる誕生日の4ヶ月前頃に「高齢者講習のお知らせ」というハガキが届いた。
この講習を受けないと運転免許の更新が出来ない。
金6,150円也の講習費を払って、3時間の講習を受けた。

最初の一時間は、加齢すると反射神経や運動能力、視力が衰退するという事を色々言い方を変えて繰り返し洗脳されたように感じた。

次の一時間は、動体/夜間視力検査、運転適正試験。
最初の検査は、丸の切れた所を前後左右に動くスイッチで示すもので、最初目の検査のような静止視力、次は丸がだんだん大きくなる動体検査、その次は明るい光の玉が左右にあり丸がだんだん濃くなる検査。
運転適正試験は画面の前にハンドルとアクセルがあって、最初はアクセルに足をのせて画面に停止の印が出るとアクセルを離すテスト。
次に、画面の中央に左右矢印が出る看板が正面にあり、その矢印が出て居る間その方向にハンドルを切る、画面の四隅に3種類の看板が出て、その中に一旦停止の看板があり、その看板が出たときアクセルを離す、その両方を画面の中の車を走らせながら行なう。
その結果は、次の通りだった。
静止視力:0.7、動体視力:0.3、夜間視力:0.3
反応動作の速さ:普通
緊張の維持と集中力:反応むらとしては平均的
動作の確かさ、見込み反応:落ち着いていて、複雑な場面も正しく判断
注意の配分/認知・注意の集中分散:前方に対しても周辺に対しても満遍なく注意が行き届いている
総合判定:同年代との比較=優れている、30~59才との比較=やや注意

結果は良好ですが、若い人と比べると機能が低下しています。若い頃はできたことも年と共にできなくなります。体調をいつもととのえて、安全運転をしてください。
その後、実技で試験場を一周した。

終始、親切であったが老人扱いされているようで、少々不機嫌。

カテーテル執行猶予 2008,04,08

狭心症の一年経過後、検査を受けた。先ず、血液検査のために血液採集。
次に、胸部の超音波検査。胸部レントゲン。
最後に、心電図測定(動くベルトの上を歩きながら心電図と血圧を測定をする)

全て正常!
夕食後飲んでいた薬はもう止めよう。尿酸値も8.3から7.5に下がった。

溶解タイプのステントを入れた場合、その手術を受けた人の5~10%の人が再発するため、
一年経過するとカレーテル検査を行なう事になっている・・・・・・
・・・・・空かさず答えた「カテーテルはしたくありません」・・・・・


結局、カテーテルは執行猶予で、必要と感じたら行なうこととなった。

僕が通っている病院は救急病院だから、
安定すると開業医を紹介する事になっているそうだが、もう少し通わせて貰う事にした。

次は2ヶ月後で満70才になってからだ、一日2回飲んでいた薬が一回に変わった。

これで、一安心。久し振り(4年振り)にゴルフ練習場に行った。
それほど退化していない自分を感じた。バリバリ仕事頑張るぞ!!

夕食は、僕のおごりで下の蕎麦屋へ行った。

・・・・・・蕎麦屋さん今日は定休日・・・・・・・・・・

結局、近くのスーパーでにぎり寿司やワインを買って自宅で食事をした。
宣さんが少し手伝ってくれたので、久し振りにワインを一本(720ml)飲んだ。

ささやかだけれど、昨日まで何となく感じていた重い感じが吹っ切れ
明日に希望を感じる夕食だった。

ちりとてちん 2008,04,04

最終回で、出産のシーンがあった。
宣さん曰く「わが家の場合は、夫の第一声が これかあー だから」と・・・・・

ちょうど出産を迎えた時期、仕事で出張しなければならない時期と重なった。

生れる日の数日前、産婦人科の先生の出産するかもしれないという言葉を期待して、
一晩促進剤を投与したりして早期出産を試みたが駄目だった。

その後、已む無く僕のおふくろを呼び寄せて出張した。
出張先では思わぬクレームが続出してなかなか帰れない。
帰りの夜行列車に疲れ果てて乗り込み、ちょうど淀川を渡る時刻に娘が誕生した。

もちろん、会社へ帰ると報告もそこそこに病院へ直行した。
宣さんが横たわるベットの横に小さな赤ちゃんが寝ていた。

それを見た僕は安心感と疲れが一気に出て、つい「これかあー」と呟いてしまった。
別に落胆して出た言葉でも、不満を抱いて出た言葉でもなく、
弛緩性出血で生死を彷徨った宣さんの事を知らなかったし、
不用意に出た言葉であった。

横に居たおふくろが、直ぐ病院の食堂に僕をつれて行き、
出産時の模様を僕に告げ、もし宣さんが助からなかった如何しようかと、
一晩中思い悩んだと涙をこぼした。

その後、ずっと機会あるごとに宣さんから「これかあー」をネタに冷やかされる。

今朝も、テレビを見ながら宣さん曰く 「あの時、お産に立ち会っていたら、
ひょっとしてその後の人生が変わっていたかもしれないね」と・・・・・・・