津和野 朝の散歩 2008,01,20

これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。
これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。

高齢者は悲しい 2008,01,20

古希とは、杜甫の詩の一節「人生70古来稀なり」に基づくという。
先日のテレビ番組で、新型ウイルスが蔓延したとき誰を優先して生かすかという話があり、「高齢者はもう十分人生を楽しんだのだから・・・・」という発言があったという。
それ位のことは、人から言われなくても十分に心得ている。
そんな論議を公のところでして欲しくない、それでなくても親族殺人など我々が子供の頃は考えられなかったような物騒なことが頻繁に起こっている。
「高齢者は要らないのだ」という風潮でも起こったら、どんなことになるかブレーキが利かない今の日本の世の中で・・・・・・・
特にテレビにおいては、人心に影響するような発言は謹んで欲しいものだ。 😡
古希とは、杜甫の詩の一節「人生70古来稀なり」に基づくという。
先日のテレビ番組で、新型ウイルスが蔓延したとき誰を優先して生かすかという話があり、「高齢者はもう十分人生を楽しんだのだから・・・・」という発言があったという。
それ位のことは、人から言われなくても十分に心得ている。
そんな論議を公のところでして欲しくない、それでなくても尊属殺人など我々が子供の頃は考えられなかったような物騒なことが頻繁に起こっている。
「高齢者は要らないのだ」という風潮でも起こったら、どんなことになるかブレーキが利かない今の日本の世の中で・・・・・・・
特にテレビにおいては、人心に影響するような発言は謹んで欲しいものだ。 😡

浜田の休日 2008,01,19

2002年に横浜から浜田に引っ越した。
住み着いた所は、殿町という昔のお城の門の近くで市の中心部である。
10分も歩けば、市役所、郵便局、警察署、裁判所、病院の数々、スーパー、と何でも有りの便利な所で、漁港まである。
先ず驚いたのは、トビが多い、流石漁港の町であった。
ちょっと疲れると、竿を持って漁港へ出かけた。
仕掛けを色々買ったが、結局一匹も釣ることが出来なかった。
しかし、近所から新しい魚の差し入れがあったり、美味しい魚をずいぶん食べることが出来た。
僕にとっては、結構魅力的な所であったが、高齢化が進んでいるこの町で、宣さんの友達が出来ず、その場所に4年間住んで、又横浜へ帰ってきた。
今、ページを移設しながら、浜田のことが懐かしく思い出される。

2002年に横浜から浜田に引っ越した。

住み着いた所は、殿町という昔のお城の門の近くで市の中心部である。

10分も歩けば、市役所、郵便局、警察署、裁判所、病院の数々、スーパー、と何でも有りの便利な所で、漁港まである。

先ず驚いたのは、トビが多い、流石漁港の町であった。

ちょっと疲れると、竿を持って漁港へ出かけた。

仕掛けを色々買ったが、結局一匹も釣ることが出来なかった。

しかし、近所から新しい魚の差し入れがあったり、美味しい魚をずいぶん食べることが出来た。

僕にとっては、結構魅力的な所であったが、高齢化が進んでいるこの町で、宣さんの友達が出来ず、その場所に4年間住んで、又横浜へ帰ってきた。

今、ページを移設しながら、浜田のことが懐かしく思い出される。