これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。
これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。