思いを残して去るヴィッツ 2008,03,07

来る誕生 思いを残して 去るヴィッツ
27日のハーバークラブの講師は村上 譲 氏だった。
同氏は、山頭火研究の第一人者という方で、とても参考になるお話を聞く事が出来、山頭火に興味を持った。
最初の短文は、山頭火を真似た俳句の積りである・・・・・・・??
昨日夕刻、島根で走ってくれていたヴィッツを手放した。
駐車場を出て行くヴィッツの後姿を目で追いながら、「もう駐車場に行っても居ないのだ」と寂しさが込み上げてきた。
70歳の誕生日を迎えるに当って、手放す決心をしたのだから仕方ない。
だけど、どうしようもないこの寂しさは、車が無いから?
それとも老いていく自分を感じたの?来る誕生 思いを残して 去るヴィッツ
27日のハーバークラブの講師は村上 譲 氏だった。
同氏は、山頭火研究の第一人者という方で、とても参考になるお話を聞く事が出来、山頭火に興味を持った。
最初の短文は、山頭火を真似た俳句の積りである・・・・・・・??
昨日夕刻、島根で走ってくれていたヴィッツを手放した。
駐車場を出て行くヴィッツの後姿を目で追いながら、「もう駐車場に行っても居ないのだ」と寂しさが込み上げてきた。
70歳の誕生日を迎えるに当って、手放す決心をしたのだから仕方ない。
だけど、どうしようもないこの寂しさは、車が無いから?
それとも老いていく自分を感じたの?

来る誕生 思いを残して 去るヴィッツ

27日のハーバークラブの講師は村上 譲 氏だった。

同氏は、山頭火研究の第一人者という方で、とても参考になるお話を聞く事が出来、山頭火に興味を持った。

最初の短文は、山頭火を真似た俳句の積りである・・・・・・・??

昨日夕刻、島根で走ってくれていたヴィッツを手放した。

駐車場を出て行くヴィッツの後姿を目で追いながら、「もう駐車場に行っても居ないのだ」と寂しさが込み上げてきた。

70歳の誕生日を迎えるに当って、手放す決心をしたのだから仕方ない。

だけど、どうしようもないこの寂しさは、車が無いから?

それとも老いていく自分を感じたの?

中国餃子はどうなるの? 2008,02,29

中国餃子はどうなるの? 2008,02,29

残念だろうなー
最近テレビが頻繁に放送している話題がある、「餃子の中に農薬が入った事件」だ。
中国の食料品会社で混入したのではないかと、工場の中の様子などが毎日のように映し出されている。
僕が想像していたよりもずっと綺麗だし、お揃いのユニホームに身を包み、大勢の人々が日本に輸出するために随分と努力されている様子が覗える。
原因が何か未だ分らないが、そこで働いている大半の人々は残念だろうなー
僕も仕事を一生懸命していても良い結果が出ないことが多々あった。
その時の残念さがこれを見て蘇ってくる。
結果を中傷をするのは簡単だが、実行するのは時間と忍耐と弛まぬ努力が必要なんだ・・・・・・・・。
その点、僕は中国の人がこんなに頑張っているのだということを、今度の事件で教えてもらったような気がする。
今の日本は、外国の人々のお世話にならなければ、食べるものすらないという情けない国になっている。
お金さえあれば、何処からでも買い求められるという考えを改めて、近隣の国々の人たちのお世話になっているということを、もっと感じなければならないと、今度の事件は教えてくれたようにおもう。
中国の人々に伝えたい「これに懲りず、美味しい餃子を日本向けに作って欲しい」と・・・・・・・・・
と思っていたが、・・・・・・・・・・・
今朝(2月29日)のテレビでも云っているように、中国の警察当局は中国国内で混入したものでは無いと息巻いているようだ。
それでは、「何処で入ったのだ」と反発したくなる。
また、こんな事では中国という国が信用できなくなる。
誠に残念な事だ。残念だろうなー
最近テレビが頻繁に放送している話題がある、「餃子の中に農薬が入った事件」だ。
中国の食料品会社で混入したのではないかと、工場の中の様子などが毎日のように映し出されている。
僕が想像していたよりもずっと綺麗だし、お揃いのユニホームに身を包み、大勢の人々が日本に輸出するために随分と努力されている様子が覗える。
原因が何か未だ分らないが、そこで働いている大半の人々は残念だろうなー
僕も仕事を一生懸命していても良い結果が出ないことが多々あった。
その時の残念さがこれを見て蘇ってくる。
結果を中傷をするのは簡単だが、実行するのは時間と忍耐と弛まぬ努力が必要なんだ・・・・・・・・。
その点、僕は中国の人がこんなに頑張っているのだということを、今度の事件で教えてもらったような気がする。
今の日本は、外国の人々のお世話にならなければ、食べるものすらないという情けない国になっている。
お金さえあれば、何処からでも買い求められるという考えを改めて、近隣の国々の人たちのお世話になっているということを、もっと感じなければならないと、今度の事件は教えてくれたようにおもう。
中国の人々に伝えたい「これに懲りず、美味しい餃子を日本向けに作って欲しい」と・・・・・・・・・
と思っていたが、・・・・・・・・・・・
今朝(2月29日)のテレビでも云っているように、中国の警察当局は中国国内で混入したものでは無いと息巻いているようだ。
それでは、「何処で入ったのだ」と反発したくなる。
また、こんな事では中国という国が信用できなくなる。
誠に残念な事だ。

残念だろうなー

最近テレビが頻繁に放送している話題がある、「餃子の中に農薬が入った事件」だ。

中国の食料品会社で混入したのではないかと、工場の中の様子などが毎日のように映し出されている。

僕が想像していたよりもずっと綺麗だし、お揃いのユニホームに身を包み、大勢の人々が日本に輸出するために随分と努力されている様子が覗える。

原因が何か未だ分らないが、そこで働いている大半の人々は残念だろうなー

僕も仕事を一生懸命していても良い結果が出ないことが多々あった。

その時の残念さがこれを見て蘇ってくる。

結果を中傷をするのは簡単だが、実行するのは時間と忍耐と弛まぬ努力が必要なんだ・・・・・・・・。

その点、僕は中国の人がこんなに頑張っているのだということを、今度の事件で教えてもらったような気がする。

今の日本は、外国の人々のお世話にならなければ、食べるものすらないという情けない国になっている。

お金さえあれば、何処からでも買い求められるという考えを改めて、近隣の国々の人たちのお世話になっているということを、もっと感じなければならないと、今度の事件は教えてくれたようにおもう。

中国の人々に伝えたい「これに懲りず、美味しい餃子を日本向けに作って欲しい」と・・・・・・・・・

と思っていたが、・・・・・・・・・・・

今朝(2月29日)のテレビでも云っているように、中国の警察当局は中国国内で混入したものでは無いと息巻いているようだ。

それでは、「何処で入ったのだ」と反発したくなる。

また、こんな事では中国という国が信用できなくなる。

誠に残念な事だ。

食料自給率 2008,02,11

宣さんは、若い頃「花見川生協」(今は合併などでなくなっている)の仕事に参加していた。
そして、農家の方々が上京されると都内を案内したり、コンサートを開いて会員の親睦を図ったり、結構活躍をしていた。
また、宣さんのお母さんが健康食について厳しく、子供の頃に食べさせて貰えぬ食物があったという。
その様なこともあってか、僕たちは食品を買うとき必ず原材料や生産地、加工所の明細などを厳しくチェックして、ちょっと気になれば買わない。
もう、成長盛りの子供達が居るわけでもなく、老人が2人だから量も多く必要ないし、好きなものを少し食べて満足できる。
特別に地産地消を意識しているわけではないが、しぜんに地物を選ぶ。
今話題になっている一連の事件を聞きながら、僕たちが注意している事って無駄ではなかったと思う。
外国の原料を他の外国に送って加工し、それを輸入して食べている場合もあると聞く、そんなに輸送してエネルギーを無駄遣いするなんて、これを機会に自国の食料自給率を上げることをもっと真剣に考え、行動すべきだと思う。
宣さんは、若い頃「花見川生協」(今は合併などでなくなっている)の仕事に参加していた。
そして、農家の方々が上京されると都内を案内したり、コンサートを開いて会員の親睦を図ったり、結構活躍をしていた。
また、宣さんのお母さんが健康食について厳しく、子供の頃に食べさせて貰えぬ食物があったという。
その様なこともあってか、僕たちは食品を買うとき必ず原材料や生産地、加工所の明細などを厳しくチェックして、ちょっと気になれば買わない。
もう、成長盛りの子供達が居るわけでもなく、老人が2人だから量も多く必要ないし、好きなものを少し食べて満足できる。
特別に地産地消を意識しているわけではないが、しぜんに地物を選ぶ。
今話題になっている一連の事件を聞きながら、僕たちが注意している事って無駄ではなかったと思う。
外国の原料を他の外国に送って加工し、それを輸入して食べている場合もあると聞く、そんなに輸送してエネルギーを無駄遣いするなんて、これを機会に自国の食料自給率を上げることをもっと真剣に考え、行動すべきだと思う。

宣さんは、若い頃「花見川生協」(今は合併などでなくなっている)の仕事に参加していた。

そして、農家の方々が上京されると都内を案内したり、コンサートを開いて会員の親睦を図ったり、結構活躍をしていた。

また、宣さんのお母さんが健康食について厳しく、子供の頃に食べさせて貰えぬ食物があったという。

その様なこともあってか、僕たちは食品を買うとき必ず原材料や生産地、加工所の明細などを厳しくチェックして、ちょっと気になれば買わない。

もう、成長盛りの子供達が居るわけでもなく、老人が2人だから量も多く必要ないし、好きなものを少し食べて満足できる。

特別に地産地消を意識しているわけではないが、しぜんに地物を選ぶ。

今話題になっている一連の事件を聞きながら、僕たちが注意している事って無駄ではなかったと思う。

外国の原料を他の外国に送って加工し、それを輸入して食べている場合もあると聞く、そんなに輸送してエネルギーを無駄遣いするなんて、これを機会に自国の食料自給率を上げることをもっと真剣に考え、行動すべきだと思う。

ヴィッツよ さようなら 2008,02,09

6年前に買ったビッツは良く走ってくれた。駐車場で知らぬ間に出来た笑窪以外は損傷なし、
走行距離41,000Km走り盛りの車だけど、僕が70歳になったので手放す。
自分自身は若い頃と変わらないと思いながら、坂発車が面倒だったり、
知らない道路にひどく気を使ったり、
運転によるストレスが以前と比べるとずいぶん大きい。
2年前までは島根で車に毎日乗っていたから毎月ガソリンを給油していたが、
横浜に帰ってから4ヶ月に一回給油する程度である。
先日、横浜の仲間にその話をしたら、引き取ってくれることになった。
駐車場も2月一杯で契約を終了する手続きをした。
もう引き返せない・・・・・・・・・・・・
6年前に買ったビッツは良く走ってくれた。駐車場で知らぬ間に出来た笑窪以外は損傷なし、
走行距離41,000Km走り盛りの車だけど、僕が70歳になったので手放す。
自分自身は若い頃と変わらないと思いながら、坂発車が面倒だったり、
知らない道路にひどく気を使ったり、
運転によるストレスが以前と比べるとずいぶん大きい。
2年前までは島根で車に毎日乗っていたから毎月ガソリンを給油していたが、
横浜に帰ってから4ヶ月に一回給油する程度である。
先日、横浜の仲間にその話をしたら、引き取ってくれることになった。
駐車場も2月一杯で契約を終了する手続きをした。
もう引き返せない・・・・・・・・・・・・

餃子の事故 2008,02,02

餃子に殺虫剤が入っていて、大変なことが起こった。
食べた人々は、死ぬ思いを味わわれたそうで本当にお気の毒だと思う。
また、故意かどうか分からないにしても極僅かな商品に混入して、
中国の会社も青天の霹靂で大変だと思う。
直接関与していない人は色々といえるが、関与している人はお断りしかいいようがないことで、本当にお気の毒に思う。
ところで、僕は以前から次のように思っていた・・・・・・・
『食品や生活用品の多様化、産地の国際化が進み、私たちは豊富な商品群に囲まれていますが。しかし、その商品がどのように作られたのか、どのような経路で其処にあるのか知りません。そして、なぜこのように安い値段で売られているのか疑問に思うことすらあります。世界のものが簡単に入手できることは有難いことですが、日本のよさがどんどん衰退しているように感じます。私たちは、大海原に囲まれ山や川に恵まれ、春夏秋冬の季節が訪れる、世界の中でも稀にみる住み良い島国の日本にいます。 もっと身近に生活する視点から日本を見直し、伝統を大切にし地産地消を考えてみてはどうでしょうか。そしてまた、古里がどのようになっているのか?持続することが出来るのか?知ることも大切ではないでしょうか。そのようなことを考えながら、もっと『古里を知り』、ふるさとの人々と『ものさがし』をし、一緒に『ものづくり』をする人たちと知り合い、素晴らしい古里や日本をまもる仲間になりたいと願っています。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・と。
この機会に、他所の国のことを言う前に、自国が他国の食料のお世話にならなければ国民が生きてゆけないこの現実を、もっと真剣に考え、子孫のためにも行動すべきではなかろうか。
餃子に殺虫剤が入っていて、大変なことが起こった。
食べた人々は、死ぬ思いを味わわれたそうで本当にお気の毒だと思う。
また、故意かどうか分からないにしても極僅かな商品に混入して、
中国の会社も青天の霹靂で大変だと思う。
直接関与していない人は色々といえるが、関与している人はお断りしかいいようがないことで、本当にお気の毒に思う。
ところで、僕は以前から次のように思っていた・・・・・・・
『食品や生活用品の多様化、産地の国際化が進み、私たちは豊富な商品群に囲まれていますが。しかし、その商品がどのように作られたのか、どのような経路で其処にあるのか知りません。そして、なぜこのように安い値段で売られているのか疑問に思うことすらあります。世界のものが簡単に入手できることは有難いことですが、日本のよさがどんどん衰退しているように感じます。私たちは、大海原に囲まれ山や川に恵まれ、春夏秋冬の季節が訪れる、世界の中でも稀にみる住み良い島国の日本にいます。 もっと身近に生活する視点から日本を見直し、伝統を大切にし地産地消を考えてみてはどうでしょうか。そしてまた、古里がどのようになっているのか?持続することが出来るのか?知ることも大切ではないでしょうか。そのようなことを考えながら、もっと『古里を知り』、ふるさとの人々と『ものさがし』をし、一緒に『ものづくり』をする人たちと知り合い、素晴らしい古里や日本をまもる仲間になりたいと願っています。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・と。
この機会に、他所の国のことを言う前に、自国が他国の食料のお世話にならなければ国民が生きてゆけないこの現実を、もっと真剣に考え、子孫のためにも行動すべきではなかろうか。

感動して涙がこぼれた 2008,02,01

第27回大阪国際女子マラソン、福士加代子の頑張りに感動した。
34kmまで圧倒的な強さで走り続けていたが、急にスピードダウンが始まり、次々と後続選手に追い越されるハプニングが起こった。
足の運びはどんどん悪くなり、途中で転ぶようになった。
普通の有名選手だったら、早く棄権していただろうが・・・・・・・・・・
監督は側を追従しながら何度も声を掛けていた、たぶん止めるべきか否か迷いに迷ったことだろうと同情する。
コースに帰って3回転倒、合計で4~5回転倒したのではなかろうか?
それでも笑顔さえ浮かべているかと思えるような表情で起き上がりとうとう完走した。
完走したところまでしか放映されなかったので、その後のことが分からないが、是非回復して再び元気なレースを見せて欲しい。
今年は箱根駅伝で、3選手が棄権するハプニングがあったが、マラソンでこんなのは始めてだ。
京都女子駅伝の野口の強さにも感激したが、今回の最後まで完走した福士の姿は、単にマラソンでこんなことがあったということでなく、僕の日頃の生活にも大きな教訓を与えてくれたように思う。
福士さんご苦労様!心打つ場面をありがとう!
早く元気になって、またマラソンに出てください、応援するからね!
今朝のテレビで、福士が競技場を出る姿が映し出された。
元気に回復し「おもしろかったー ハッハッ・・・・・・」と
明るく答える姿が又良かったなー
第27回大阪国際女子マラソン、福士加代子の頑張りに感動した。
34kmまで圧倒的な強さで走り続けていたが、急にスピードダウンが始まり、次々と後続選手に追い越されるハプニングが起こった。
足の運びはどんどん悪くなり、途中で転ぶようになった。
普通の有名選手だったら、早く棄権していただろうが・・・・・・・・・・
監督は側を追従しながら何度も声を掛けていた、たぶん止めるべきか否か迷いに迷ったことだろうと同情する。
コースに帰って3回転倒、合計で4~5回転倒したのではなかろうか?
それでも笑顔さえ浮かべているかと思えるような表情で起き上がりとうとう完走した。
完走したところまでしか放映されなかったので、その後のことが分からないが、是非回復して再び元気なレースを見せて欲しい。
今年は箱根駅伝で、3選手が棄権するハプニングがあったが、マラソンでこんなのは始めてだ。
京都女子駅伝の野口の強さにも感激したが、今回の最後まで完走した福士の姿は、単にマラソンでこんなことがあったということでなく、僕の日頃の生活にも大きな教訓を与えてくれたように思う。
福士さんご苦労様!心打つ場面をありがとう!
早く元気になって、またマラソンに出てください、応援するからね!
今朝のテレビで、福士が競技場を出る姿が映し出された。
元気に回復し「おもしろかったー ハッハッ・・・・・・」と
明るく答える姿が又良かったなー

熟年別居 2008,01,27

レビで熟年別居のような番組を見て驚いた。
旦那が定年退職をして家にいるのがうっとうしいから、家をリホームして別々に暮らせる体制づくりをするのだそうだ。
酷(むご)い話だ、家に在る4室の部屋の内、3室を自分用に改造したと誇らしげに語る御婦人、また旦那が自分の部屋に入ってこれなくするために内側から施錠するようにしたと満足そうなご婦人。
「何故別れないのですか?」と尋ねられて、「旦那は掃除をしてくれて便利だから」と答えるご婦人・・・・・・・・・・・。
この放送を見ていた宣さん「恥ずかしい!公の場で自分の旦那をこんなに侮辱して、よく一緒に暮らせるものだ、テレビ局もテレビ局だこんな番組を組んで・・・・・・・」と・・・・・・・・・
僕もそう思う、この御婦人たちは旦那が現役の間、どのような気持ちで一緒に暮らしていたのだろう?
きっと、自分を下女か女中にさげすんで耐えて居たに違いない。
我が家は、旦那の方が耐えてきたからそんなにはならないし、横浜に帰ってきてから僕が家で仕事をしていることもあって、ずっと家に居ることが多くなったが、そのことによってむしろお互いの理解が深まって、より親密になれたように感じる。
年の所為もあるかもしれないが・・・・・・・・・・
ある先輩が「夫婦は高齢化してもお互いに体を接しあって居た方が良い、いずれ介護となる可能性があり、その時お互いに抵抗を少なくすることが出来る」と、
お酒が一杯入ると持論のように繰り返していたが、残念なことにその持論を実証する前にあの世へ行ってしまった。
高齢期になると体の衰えが想像以上に早まる事に気付く。
その衰えと如何に上手く付き合ってゆくか、気力を維持してゆくかが大切なことだと思っている。
また、自殺する以外は、自分一人であの世に行くことは出来ず、必ず誰かに面倒をかけると、そんなことも考えるようになった。
自分たちの尊厳を守るために、夫婦が互いに気遣いあって生きることが一番良い方法だと思うのだが・・・・・・・・・。 🙁

テレビで熟年別居のような番組を見て驚いた。

旦那が定年退職をして家にいるのがうっとうしいから、家をリホームして別々に暮らせる体制づくりをするのだそうだ。

酷(むご)い話だ、家に在る4室の部屋の内、3室を自分用に改造したと誇らしげに語る御婦人、また旦那が自分の部屋に入ってこれなくするために内側から施錠するようにしたと満足そうなご婦人。

「何故別れないのですか?」と尋ねられて、「旦那は掃除をしてくれて便利だから」と答えるご婦人・・・・・・・・・・・。

この放送を見ていた宣さん「恥ずかしい!公の場で自分の旦那をこんなに侮辱して、よく一緒に暮らせるものだ、テレビ局もテレビ局だこんな番組を組んで・・・・・・・」と・・・・・・・・・

僕もそう思う、この御婦人たちは旦那が現役の間、どのような気持ちで一緒に暮らしていたのだろう?

きっと、自分を下女か女中にさげすんで耐えて居たに違いない。

我が家は、旦那の方が耐えてきたからそんなにはならないし、横浜に帰ってきてから僕が家で仕事をしていることもあって、ずっと家に居ることが多くなったが、そのことによってむしろお互いの理解が深まって、より親密になれたように感じる。

年の所為もあるかもしれないが・・・・・・・・・・

ある先輩が「夫婦は高齢化してもお互いに体を接しあって居た方が良い、いずれ介護となる可能性があり、その時お互いに抵抗を少なくすることが出来る」と、

お酒が一杯入ると持論のように繰り返していたが、残念なことにその持論を実証する前にあの世へ行ってしまった。

高齢期になると体の衰えが想像以上に早まる事に気付く。

その衰えと如何に上手く付き合ってゆくか、気力を維持してゆくかが大切なことだと思っている。

また、自殺する以外は、自分一人であの世に行くことは出来ず、必ず誰かに面倒をかけると、そんなことも考えるようになった。

自分たちの尊厳を守るために、夫婦が互いに気遣いあって生きることが一番良い方法だと思うのだが・・・・・・・・・。 🙁

宣さんと猫と僕 2008,01,23

最近、猫の「ミー」が何かにつけて声を発する。その訳が分からない。
[img align=left]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/mimi080120.jpg[/img]僕が未だ実家で生活していた高校生の頃、三毛猫でこれも「ミー」といったが、患って他界するとき、鳴きながら田舎の小道を家から遠ざかって行く姿を見た。
それを見つけた僕は、しばらく黙って後を追っていたが、よろよろしながら行く姿に耐えられなくなって、僕は涙をこぼしながら抱いて家に連れて帰ったことを思い出す。<br>
その猫は、次の日が来る前に僕が寝ている枕元に置いた寝床の中で死んでしまった。
夕ご飯を食べる終わって、ミーを膝に抱いている宣さんにそんな話をしたら、宣さんも何かそんな寂しさを感じていたようだ。
僕たちは、何年も二人と一匹が寄り添って生活している。
みんな大事で一つでも欠けることを考えるとその先の想像が付かない。
このミーは、我々が寝た夜中に運動会を始めるから、まだまだ元気だろう。
最近、猫の「ミー」が何かにつけて声を発する。その訳が分からない。
僕が未だ実家で生活していた高校生の頃、三毛猫でこれも「ミー」といったが、患って他界するとき、鳴きながら田舎の小道を家から遠ざかって行く姿を見た。
それを見つけた僕は、しばらく黙って後を追っていたが、よろよろしながら行く姿に耐えられなくなって、僕は涙をこぼしながら抱いて家に連れて帰ったことを思い出す。<br>
その猫は、次の日が来る前に僕が寝ている枕元に置いた寝床の中で死んでしまった。
夕ご飯を食べる終わって、ミーを膝に抱いている宣さんにそんな話をしたら、宣さんも何かそんな寂しさを感じていたようだ。
僕たちは、何年も二人と一匹が寄り添って生活している。
みんな大事で一つでも欠けることを考えるとその先の想像が付かない。
このミーは、我々が寝た夜中に運動会を始めるから、まだまだ元気だろう。

専業主婦 頑張れ! 2008,01,21

わが家の主婦「宣さん」は、結婚して以来40数年その間10年程度生協活動はしていたが、ずっと専業主婦を貫いている。
一人娘も今、2人の子供を抱えて専業主婦を頑張っている。
現代の風潮では、勤めに出て家を空けている女性が社会的に認められて、家を守っている専業主婦があたかも社会的に役目を果たしていないような話をする向きがある。特にそんな話を声高にする女性が居ることは悲しい。
しかし、宣さんも娘もそんな話は気にもしないで、専業主婦の大切さを自覚し、誇りを持って主婦業に専念している。頼もしく、嬉しい!!
地方に住んでいたとき、宣さんが云っていた「平日のお昼時、この地域では私一人なんだから、何かあったらどうしよう」と、また「子供が学校から帰ってきて、夕方遅くまで外で遊んでいる、お母さんが迎えてあげないと可愛そうよね」と・・・・・・・・
僕の子供の頃は、母親が家族の絆というか、纏めというか、そんなものをつくっていたように思う。何かあったらお母さんに相談するのが常だった。
お母さんが外に勤めに出て、そんな役割まで出来るのだろうか?
今テレビを賑わしている事件を見ると、その主役は殆ど家庭の崩壊から来ているように感じる。
経済的に貧しいとか裕福とか、仲が良かったとか悪かったとか、そんなことあまり関係なく他人からは分からないところで起こっている。結果を辿ってみると家族がバラバラで、昔のようにしっかり家を守っているお母さんが不在のようにも思えて仕方ない。
小社会である家庭をじっくり守るお母さんが居て欲しい。
そしてそんなお母さんを支援する社会であって欲しい。
そんなことを願うのは僕だけだろうか??
わが家の主婦「宣さん」は、結婚して以来40数年その間10年程度生協活動はしていたが、ずっと専業主婦を貫いている。
一人娘も今、2人の子供を抱えて専業主婦を頑張っている。
現代の風潮では、勤めに出て家を空けている女性が社会的に認められて、家を守っている専業主婦があたかも社会的に役目を果たしていないような話をする向きがある。特にそんな話を声高にする女性が居ることは悲しい。
しかし、宣さんも娘もそんな話は気にもしないで、専業主婦の大切さを自覚し、誇りを持って主婦業に専念している。頼もしく、嬉しい!!
地方に住んでいたとき、宣さんが云っていた「平日のお昼時、この地域では私一人なんだから、何かあったらどうしよう」と、また「子供が学校から帰ってきて、夕方遅くまで外で遊んでいる、お母さんが迎えてあげないと可愛そうよね」と・・・・・・・・
僕の子供の頃は、母親が家族の絆というか、纏めというか、そんなものをつくっていたように思う。何かあったらお母さんに相談するのが常だった。
お母さんが外に勤めに出て、そんな役割まで出来るのだろうか?
今テレビを賑わしている事件を見ると、その主役は殆ど家庭の崩壊から来ているように感じる。
経済的に貧しいとか裕福とか、仲が良かったとか悪かったとか、そんなことあまり関係なく他人からは分からないところで起こっている。結果を辿ってみると家族がバラバラで、昔のようにしっかり家を守っているお母さんが不在のようにも思えて仕方ない。
小社会である家庭をじっくり守るお母さんが居て欲しい。
そしてそんなお母さんを支援する社会であって欲しい。
そんなことを願うのは僕だけだろうか??

津和野 朝の散歩 2008,01,20

これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。
これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。