新現役交流会に久し振りに出席した。
今回は、三島信用金庫の主催で、横浜から何故そんなに遠くまでという疑問を持たれるかも知れないが、現役時代に伊東線の新宇佐美トンネルの掘削に係わって、熱海駅の2階の居酒屋さんに通ったこと、
藤枝市でアスファルトプラントを建設したこと、富士の裾野にある建設機械化研究所に頻繁に通ったこと、などから、三島市、沼津市、にはなんとなく近親感があることと、得意とする特許関連の支援要望があること、が参加する原動力となった。
特許に関しては、根が好きで自分個人でも出願し、年末には毎年特許庁から予納残高証明が送ってくる程で、今も特許公報調査の仕事をし現役の積りであり、今迄に学習し経験した諸々を誰かに伝えて、活かして欲しいといつも思っている。
ところで、東戸塚から沼津までSuicaで行こうとしたら、沼津駅の改札を通過できない??
熱海と三島の間を通過出来ないのだそうだ!
最近、関東以外で使えるようになったと思ってたが
http://www.jreast.co.jp/suICa/area/index.html
の通りである。
帰りは、沼津から東戸塚まで切符を買い、熱海駅で乗り換えの待ち時間が20分あったので、今は無いだろう駅の2階の居酒屋の位置がどうなっているか知りたく、途中下車をしようとしたら、その切符では途中下車は出来ませんとのこと・・・
家に帰って調べてみたら、「片道の営業キロが100キロまでの普通乗車券」は途中下車できない、沼津から東戸塚はyahooo検索で89.5km・・・残念ながら納得!!
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朝帰り
今朝、偶々マンションの5階の窓からエントランスを見ていたら、朝帰ってくる男性を見かけ「朝帰りか~」と呟いた。
横で聞いていた家内が「貴男の朝帰りと今は違うんですよ!」諭された。
未だ千葉に住んでいた若い頃、新橋などで飲んで電車が無くなり、飲み続けて朝帰ったこと、横浜に来てからも関内で飲んでいて朝帰りとか、頻繁ではないが、偶にあった。
その事を思い出して、懐かしく発した言葉であったが、家内曰く「現在は飲んで朝帰りするのではなく、夜勤を求められる仕事が多く、夜勤帰りの人が居られるのですよ」と、我々の働いた時代とは随分変わったものだと痛感させられた。
こんなにITや経済が進んで、人々の生活習慣は何処へ行くのだろう?? とふと思った。
兜ちゃんは行っちゃった
兜ちゃん行方不明
2014,08,25 07;40am:
近くに胡瓜を置いたら、しばらくして元気に胡瓜を食べ、夕方は壁の隅を這い上がろうもがいていた、
壁を這い上がることは表面が滑るため不可能であった。
2014,08,26 05;30am:
朝、上から見て何処にもいない。
先日のこともあるので、深く潜り込んでいる・・お昼過ぎには出てくるだろう、と思っていたが出てこない。
2日周期位だったので明日朝は出て来るだろうと、
スイカを置く・・・
2014,08,26 06;00am:
今朝も居ない?不安になって家内が土の中を探したけど見当たらない。
そうか、一昨日の夜旅立ったのだ!おめでとう、
元気になれたのネ・・・
とは思ったものの、急に寂しさが増して、
我等二人の会話は、飛べて良かったね・・・
と声を落とすばかり・・・
今も(14;40pm)見てきたが居ない・・・本当に行ってしまったのだ・・・
その後の兜ちゃん
Jw-cad に挑戦 2014,08,06
Jw-cad に挑戦2014,08,06:
昨日は、セミナー「医療機器で活かせる技術」に午後から出席したので、5.2.6切断線の作図だけで終わった。
この項は、レイヤの使い方を中心にしたもので、レイヤの変更による画面の表示、選択部分のコピー、などを学習した。
セミナー「医療機器で活かせる技術」では、テレビで放映された二九精密機械工業の二九社長の話に最も共感した。
中小企業が生き残るためには、自社技術のしっかりしたものを持つこと、そしてそれを信じ、育てること。その上で、下請けにならないように自主性を持ち、企画・設計から取組み、常に経済的意識を優先し、明るく、急いで、運が向いていると思い、縁を大切にして、大きな夢に向かって、進む力強さを備えること!
二九社長は、あいうえお を上手に表現されたが、残念ながら記述していなかったので、言い回しや内容が少し違うかもしれないが、最も共感した言葉である。
他に「医療で求められる”ものづくり技術”」(産業技術総合研究所鎮西清行氏)で医療と薬事、医療機器の薬事認可を・・・
また、「知財及び薬事法から見た技術戦略」(名古屋国際特許業務法人東京支店弁理士山越 淳氏)では、薬事法上の承認・認証取得に関して・・・
医療機器の特許公報読解を仕事としている自分に大いに役立ち、以前より巾広い範囲の理解が出来ることを期待している。
慰霊の日
慰霊の日、沖縄の日本軍による最後の戦いが糸満市で行われたと聞く、
自分は、島根県西部の小さな田舎に住んでいたので、戦時中飛行機が飛ぶのも見たことが無かった。
ただ、母と小さな小川の傍にいたとき、南南東の方角で「どろ~ん」という鈍い音を聞いて、何だろう??と話し合たことは、今でも覚えている。
後に原子爆弾であったことを聞かされたのだが・・・
妻は、南南東の方角に黒い雲を見たと云っているが・・・
終戦の後、学校で進駐軍が来ると聞き、山口県から国道9号線で来ると、遠くに山裾を下がる国道を見張り、国道の直ぐ横の茂みに隠れて、1台のジープが通り過ぎるのを待って、子供ながらに安心したことを思い出す。
沖縄の人々は、4人に1人亡くなったと聞く、自分には想像もできない情景である。
広島の下宿でも、皮が垂れ下がった女学生が並んでいる悲惨な話を聞いた・・・
もう戦うことも出来ない老いた自分では、せめてブログに書くことぐらいしか出来ないが、叫びたい!!
何故?指導者は戦争を好むのだ!一般市民はそれでみんな不幸になるのに・・・
そんなに戦いたいなら、自分が生死をかけて最前線で戦え!
正義とは何か?
如何なる主義主張でも、神でも、統治でも、名誉でも、貧富でも無い!!
他人を傷つけない、他人と共に生きることだと・・・知れ!!!
金婚式を迎えました
金婚式を迎えました。半世紀も良く一緒に暮らして貰えたと伴侶に感謝しています。
結婚した年にはオリンピックがあったような気がします、小さな机と白黒の小さなテレビと・・・
大牟田市の小さな社宅に入居し、お風呂は社宅に一か所ある共同風呂で、歌にあるように風呂から出て待合せるような・・・そんな生活から始まって、かみさんには随分と心配を掛けたり、失望させたり、紆余曲折ありましたが、過ぎてしまえば懐かしい出来事でもあります。
昨年、18年も一緒に暮らした猫に先立たれ、今は二人きりで生活していますが、娘が日本に帰って今は関西に住み、左上のような花束を贈ってくれました。
残りどれだけ一緒に過ごせるか分かりませんが、今が一番幸せであると感じて生活しています。
みみ「愛猫」があの世へ帰りました
福士加代子さんありがとう
福士加代子さんありがとう!
福士加代子さん、ゴールでの底抜けに明るい笑顔、全く飾らない喜びの表現、素直な明るさに感動しました。
大阪大会だった か?、転びながらゴールされたあの時も、飾らず素直に立ち向かわれた姿に、心を打たれましたが・・・
やはり、嬉しい笑顔の方が良い!
自分は、75才になって、何よりも自分の心に素直に、取り巻く環境に素直に、そして自分を素直に表せる力が、大切と考えるようになりました。
しかし、それは難しい、気が付くと何時もどちらかに曲がっている。
話は変わるが・・・
18年近くも一緒に過ごした猫が迎える死に立ち向かってる。
8月1日の午後から嘔吐が激しく、それ以降、何も食べず水だけ飲んで過ごしている。
骨と皮だけの状態になっても、何も食べない、腎臓障害用の猫食も、買って与えたが駄目である。
徐々に弱まる鳴き声、家の中を喜んで走り回っていた姿はもう無い、それでも書斎の椅子には、自分で飛び上がって寝ている。
生を受けたものが必ず通る”死への道”、いま愛猫はその道を一歩一歩進んでいるように思える。
この死への道は、兄がこの世を去ったとき、病院の枕元で真近に感じたことだ。
自分は80才現役を目指して、好きな仕事に打ち込んでいる。
満足な仕事が出来て、他人に迷惑は掛けない、その間は今の仕事を続けたい。
若い友人から、生き様を参考にして貰えるように!!