熟年別居 2008,01,27

レビで熟年別居のような番組を見て驚いた。
旦那が定年退職をして家にいるのがうっとうしいから、家をリホームして別々に暮らせる体制づくりをするのだそうだ。
酷(むご)い話だ、家に在る4室の部屋の内、3室を自分用に改造したと誇らしげに語る御婦人、また旦那が自分の部屋に入ってこれなくするために内側から施錠するようにしたと満足そうなご婦人。
「何故別れないのですか?」と尋ねられて、「旦那は掃除をしてくれて便利だから」と答えるご婦人・・・・・・・・・・・。
この放送を見ていた宣さん「恥ずかしい!公の場で自分の旦那をこんなに侮辱して、よく一緒に暮らせるものだ、テレビ局もテレビ局だこんな番組を組んで・・・・・・・」と・・・・・・・・・
僕もそう思う、この御婦人たちは旦那が現役の間、どのような気持ちで一緒に暮らしていたのだろう?
きっと、自分を下女か女中にさげすんで耐えて居たに違いない。
我が家は、旦那の方が耐えてきたからそんなにはならないし、横浜に帰ってきてから僕が家で仕事をしていることもあって、ずっと家に居ることが多くなったが、そのことによってむしろお互いの理解が深まって、より親密になれたように感じる。
年の所為もあるかもしれないが・・・・・・・・・・
ある先輩が「夫婦は高齢化してもお互いに体を接しあって居た方が良い、いずれ介護となる可能性があり、その時お互いに抵抗を少なくすることが出来る」と、
お酒が一杯入ると持論のように繰り返していたが、残念なことにその持論を実証する前にあの世へ行ってしまった。
高齢期になると体の衰えが想像以上に早まる事に気付く。
その衰えと如何に上手く付き合ってゆくか、気力を維持してゆくかが大切なことだと思っている。
また、自殺する以外は、自分一人であの世に行くことは出来ず、必ず誰かに面倒をかけると、そんなことも考えるようになった。
自分たちの尊厳を守るために、夫婦が互いに気遣いあって生きることが一番良い方法だと思うのだが・・・・・・・・・。 🙁

テレビで熟年別居のような番組を見て驚いた。

旦那が定年退職をして家にいるのがうっとうしいから、家をリホームして別々に暮らせる体制づくりをするのだそうだ。

酷(むご)い話だ、家に在る4室の部屋の内、3室を自分用に改造したと誇らしげに語る御婦人、また旦那が自分の部屋に入ってこれなくするために内側から施錠するようにしたと満足そうなご婦人。

「何故別れないのですか?」と尋ねられて、「旦那は掃除をしてくれて便利だから」と答えるご婦人・・・・・・・・・・・。

この放送を見ていた宣さん「恥ずかしい!公の場で自分の旦那をこんなに侮辱して、よく一緒に暮らせるものだ、テレビ局もテレビ局だこんな番組を組んで・・・・・・・」と・・・・・・・・・

僕もそう思う、この御婦人たちは旦那が現役の間、どのような気持ちで一緒に暮らしていたのだろう?

きっと、自分を下女か女中にさげすんで耐えて居たに違いない。

我が家は、旦那の方が耐えてきたからそんなにはならないし、横浜に帰ってきてから僕が家で仕事をしていることもあって、ずっと家に居ることが多くなったが、そのことによってむしろお互いの理解が深まって、より親密になれたように感じる。

年の所為もあるかもしれないが・・・・・・・・・・

ある先輩が「夫婦は高齢化してもお互いに体を接しあって居た方が良い、いずれ介護となる可能性があり、その時お互いに抵抗を少なくすることが出来る」と、

お酒が一杯入ると持論のように繰り返していたが、残念なことにその持論を実証する前にあの世へ行ってしまった。

高齢期になると体の衰えが想像以上に早まる事に気付く。

その衰えと如何に上手く付き合ってゆくか、気力を維持してゆくかが大切なことだと思っている。

また、自殺する以外は、自分一人であの世に行くことは出来ず、必ず誰かに面倒をかけると、そんなことも考えるようになった。

自分たちの尊厳を守るために、夫婦が互いに気遣いあって生きることが一番良い方法だと思うのだが・・・・・・・・・。 🙁

宣さんと猫と僕 2008,01,23

最近、猫の「ミー」が何かにつけて声を発する。その訳が分からない。
[img align=left]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/mimi080120.jpg[/img]僕が未だ実家で生活していた高校生の頃、三毛猫でこれも「ミー」といったが、患って他界するとき、鳴きながら田舎の小道を家から遠ざかって行く姿を見た。
それを見つけた僕は、しばらく黙って後を追っていたが、よろよろしながら行く姿に耐えられなくなって、僕は涙をこぼしながら抱いて家に連れて帰ったことを思い出す。<br>
その猫は、次の日が来る前に僕が寝ている枕元に置いた寝床の中で死んでしまった。
夕ご飯を食べる終わって、ミーを膝に抱いている宣さんにそんな話をしたら、宣さんも何かそんな寂しさを感じていたようだ。
僕たちは、何年も二人と一匹が寄り添って生活している。
みんな大事で一つでも欠けることを考えるとその先の想像が付かない。
このミーは、我々が寝た夜中に運動会を始めるから、まだまだ元気だろう。
最近、猫の「ミー」が何かにつけて声を発する。その訳が分からない。
僕が未だ実家で生活していた高校生の頃、三毛猫でこれも「ミー」といったが、患って他界するとき、鳴きながら田舎の小道を家から遠ざかって行く姿を見た。
それを見つけた僕は、しばらく黙って後を追っていたが、よろよろしながら行く姿に耐えられなくなって、僕は涙をこぼしながら抱いて家に連れて帰ったことを思い出す。<br>
その猫は、次の日が来る前に僕が寝ている枕元に置いた寝床の中で死んでしまった。
夕ご飯を食べる終わって、ミーを膝に抱いている宣さんにそんな話をしたら、宣さんも何かそんな寂しさを感じていたようだ。
僕たちは、何年も二人と一匹が寄り添って生活している。
みんな大事で一つでも欠けることを考えるとその先の想像が付かない。
このミーは、我々が寝た夜中に運動会を始めるから、まだまだ元気だろう。

専業主婦 頑張れ! 2008,01,21

わが家の主婦「宣さん」は、結婚して以来40数年その間10年程度生協活動はしていたが、ずっと専業主婦を貫いている。
一人娘も今、2人の子供を抱えて専業主婦を頑張っている。
現代の風潮では、勤めに出て家を空けている女性が社会的に認められて、家を守っている専業主婦があたかも社会的に役目を果たしていないような話をする向きがある。特にそんな話を声高にする女性が居ることは悲しい。
しかし、宣さんも娘もそんな話は気にもしないで、専業主婦の大切さを自覚し、誇りを持って主婦業に専念している。頼もしく、嬉しい!!
地方に住んでいたとき、宣さんが云っていた「平日のお昼時、この地域では私一人なんだから、何かあったらどうしよう」と、また「子供が学校から帰ってきて、夕方遅くまで外で遊んでいる、お母さんが迎えてあげないと可愛そうよね」と・・・・・・・・
僕の子供の頃は、母親が家族の絆というか、纏めというか、そんなものをつくっていたように思う。何かあったらお母さんに相談するのが常だった。
お母さんが外に勤めに出て、そんな役割まで出来るのだろうか?
今テレビを賑わしている事件を見ると、その主役は殆ど家庭の崩壊から来ているように感じる。
経済的に貧しいとか裕福とか、仲が良かったとか悪かったとか、そんなことあまり関係なく他人からは分からないところで起こっている。結果を辿ってみると家族がバラバラで、昔のようにしっかり家を守っているお母さんが不在のようにも思えて仕方ない。
小社会である家庭をじっくり守るお母さんが居て欲しい。
そしてそんなお母さんを支援する社会であって欲しい。
そんなことを願うのは僕だけだろうか??
わが家の主婦「宣さん」は、結婚して以来40数年その間10年程度生協活動はしていたが、ずっと専業主婦を貫いている。
一人娘も今、2人の子供を抱えて専業主婦を頑張っている。
現代の風潮では、勤めに出て家を空けている女性が社会的に認められて、家を守っている専業主婦があたかも社会的に役目を果たしていないような話をする向きがある。特にそんな話を声高にする女性が居ることは悲しい。
しかし、宣さんも娘もそんな話は気にもしないで、専業主婦の大切さを自覚し、誇りを持って主婦業に専念している。頼もしく、嬉しい!!
地方に住んでいたとき、宣さんが云っていた「平日のお昼時、この地域では私一人なんだから、何かあったらどうしよう」と、また「子供が学校から帰ってきて、夕方遅くまで外で遊んでいる、お母さんが迎えてあげないと可愛そうよね」と・・・・・・・・
僕の子供の頃は、母親が家族の絆というか、纏めというか、そんなものをつくっていたように思う。何かあったらお母さんに相談するのが常だった。
お母さんが外に勤めに出て、そんな役割まで出来るのだろうか?
今テレビを賑わしている事件を見ると、その主役は殆ど家庭の崩壊から来ているように感じる。
経済的に貧しいとか裕福とか、仲が良かったとか悪かったとか、そんなことあまり関係なく他人からは分からないところで起こっている。結果を辿ってみると家族がバラバラで、昔のようにしっかり家を守っているお母さんが不在のようにも思えて仕方ない。
小社会である家庭をじっくり守るお母さんが居て欲しい。
そしてそんなお母さんを支援する社会であって欲しい。
そんなことを願うのは僕だけだろうか??

津和野 朝の散歩 2008,01,20

これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。
これは、「旅館よしのや」の立ち上げで、よしのやに宣さんと泊り込みで手伝いをしていた時、朝早く起きてお稲成さんまで散歩したときの写真である。
まだ、津和野の町が寝静まった感じの風情で、昔の趣を醸し出していた。
歩いているとき、子供の頃のことを思い出し、この風景に育てられたのだなと感じた。
しかし、長い間(半世紀に近いぐらい)ご無沙汰していて、今にしてみれば津和野のことは殆ど解らなかったように感じる。
地域振興を目指して、色々提案したり活動したりしたが、悉く徒労に終わり、むしろ隣の益田市でお手伝いしたことが、今少し役立つことが出来たように思う。
ものごとを行う時は、往々にして関係が近いことが弊害になることが多い、お互いに甘えが出てくるためだろうか?
今は、横浜で「お助けマン」的な仕事を手伝っているが、此方の方がずっと楽しい。

高齢者は悲しい 2008,01,20

古希とは、杜甫の詩の一節「人生70古来稀なり」に基づくという。
先日のテレビ番組で、新型ウイルスが蔓延したとき誰を優先して生かすかという話があり、「高齢者はもう十分人生を楽しんだのだから・・・・」という発言があったという。
それ位のことは、人から言われなくても十分に心得ている。
そんな論議を公のところでして欲しくない、それでなくても親族殺人など我々が子供の頃は考えられなかったような物騒なことが頻繁に起こっている。
「高齢者は要らないのだ」という風潮でも起こったら、どんなことになるかブレーキが利かない今の日本の世の中で・・・・・・・
特にテレビにおいては、人心に影響するような発言は謹んで欲しいものだ。 😡
古希とは、杜甫の詩の一節「人生70古来稀なり」に基づくという。
先日のテレビ番組で、新型ウイルスが蔓延したとき誰を優先して生かすかという話があり、「高齢者はもう十分人生を楽しんだのだから・・・・」という発言があったという。
それ位のことは、人から言われなくても十分に心得ている。
そんな論議を公のところでして欲しくない、それでなくても尊属殺人など我々が子供の頃は考えられなかったような物騒なことが頻繁に起こっている。
「高齢者は要らないのだ」という風潮でも起こったら、どんなことになるかブレーキが利かない今の日本の世の中で・・・・・・・
特にテレビにおいては、人心に影響するような発言は謹んで欲しいものだ。 😡

浜田の休日 2008,01,19

2002年に横浜から浜田に引っ越した。
住み着いた所は、殿町という昔のお城の門の近くで市の中心部である。
10分も歩けば、市役所、郵便局、警察署、裁判所、病院の数々、スーパー、と何でも有りの便利な所で、漁港まである。
先ず驚いたのは、トビが多い、流石漁港の町であった。
ちょっと疲れると、竿を持って漁港へ出かけた。
仕掛けを色々買ったが、結局一匹も釣ることが出来なかった。
しかし、近所から新しい魚の差し入れがあったり、美味しい魚をずいぶん食べることが出来た。
僕にとっては、結構魅力的な所であったが、高齢化が進んでいるこの町で、宣さんの友達が出来ず、その場所に4年間住んで、又横浜へ帰ってきた。
今、ページを移設しながら、浜田のことが懐かしく思い出される。

2002年に横浜から浜田に引っ越した。

住み着いた所は、殿町という昔のお城の門の近くで市の中心部である。

10分も歩けば、市役所、郵便局、警察署、裁判所、病院の数々、スーパー、と何でも有りの便利な所で、漁港まである。

先ず驚いたのは、トビが多い、流石漁港の町であった。

ちょっと疲れると、竿を持って漁港へ出かけた。

仕掛けを色々買ったが、結局一匹も釣ることが出来なかった。

しかし、近所から新しい魚の差し入れがあったり、美味しい魚をずいぶん食べることが出来た。

僕にとっては、結構魅力的な所であったが、高齢化が進んでいるこの町で、宣さんの友達が出来ず、その場所に4年間住んで、又横浜へ帰ってきた。

今、ページを移設しながら、浜田のことが懐かしく思い出される。