Jw-cad に挑戦
最近の暑さと気の弛みに負けて、Cadの学習をさぼっていた。
今朝のテレビ番組で落合恵子さんの対談を聞き・・・
その中の彼女のお母さんの仕事振りの話の中で、「もう一つ何かしなければ・・・」と3つの仕事を掛けもって居られた時期があったと聞き、こうしては居られないという気持ちになって、再びJw-cadに挑戦することに奮い立ち、
遊びのパソコンにインストールしたのも一つの続かない原因!・・・仕事用のパソコンに再インストールし、
さらに、目標を定めないから続かなかった?・・・1週間で「建築施工図入門」の学習を完了・・・と決心!!
続くかな??
テーマ変更
気分転換にテーマの変更を行った。
それにしても、酷い犯罪が続く、世界では戦いが続き、国内では猟奇事件が発生し、人の社会は如何なっているのだろう?
もう少し、相手の立場になって考えれば、とても正常な心では出来ないことが、平然と、それも日常的に起こっている、感じがする。
人は慎ましく生きることは出来ない生き物なのだろうか?だとしたら今後どこに向かって進むのだろう?
滅亡の世界?、それとも一部だけの繁栄の世界、それも滅亡に繋がる世界だろうが!
先が見えている後期高齢者が云う程の事でもないかもしれないが、この夏休みに、みんなでその辺のことを考えて、子孫が苦しまない世界に近付きたいものだ。
Jw-cadに挑戦(2)
JW-Cad に挑戦(2)、
昨日夕方メール便で本が届いた。
早速、一番軽くて持ち運びに良いLets-note CF-R3にインストールしたが、このパソコンではPDFが使えないため、
今日Eee-1000Hに、改めてインストールして、これで勉強することに決定した。
もう1台、仕事用のdynabook T552/58FKDにはインストールしない、趣味と仕事の棲み分けと云うところだ。
本書を見て、建築設計のことを知らなかったことが分かった。「建築施工図入門」を手に入れたのは少々失敗であった。
建築設計図書には、意匠図、構造図、設備図、および仕様書、があって、その設計図書の内容を工事用に展開するのが施工図であった。
趣味で考えるなら、精々意匠図か構造図というところで、ちょっと気落ちした感があるが、
人手不足の社会のお役に立つとしたら、意匠図他の設計図書は建築設計士が行うことで、そんな資格は持ち合わせていないから、施工図に展開することだなと、納得し、気を取り直して「建築施工図入門」を参考書として勉強する。
本日は、第2章 建築施工図の基本を勉強した。
解体工事、仕上工事、設備工事とあり、夫々意匠図と構造図から設計者の考えを読み取って、施工する計画に沿って図面に展開する、図面を読み取る力を付けることが肝要である。
Jw-cadに挑戦
JW-Cadに挑戦、と云うのも7月後半より、日ごろの仕事量が半減するので、
ボケ防止にJW-Cadの勉強を始めることにした。
2次元Cadについては、地域振興に従事している頃(12~13年前)AutoCadのソフトを購入して勉強したことがあるが、実際の仕事に利用するのではなく趣味で挑戦したため、利用機会が無く日頃の忙しさに負けて、結局身に付かなかった。
その後、移転する時など部屋の配置換えにフリーソフトのCadを利用したことがあった、これも大した上達もせず、其の儘になっている。
暇が出来そうなので、今度こそは身に着けたいと考え、JW-Cadをダウンロードしたら、既にバージョンが11にアップしていて、内容が充実しているのはありがたいが、始めから勉強しないと対応できない状態である。
そこで、今度こそはと思い、一から勉強したいと思いでご紹介している本を手配した。
自分は、機械屋で機械関連の図面であれば問題ないが、建築は初めてである。
何故建築図面か?と云うと、今後の活動には機械の製作図より、建築の施行図の方が実質的で、利用価値が高い。
例えば、自分の理想の棲家を図面にして楽しむ、とか??、技術者不足であればアルバイトも出来るかも??、
何はともあれ継続して続けなければ上達しない、ただ好きだ!だけでは続かないと思うから・・
今日の午後位に届く本「建築施行図入門」が待ち遠しい。
ご苦労様でした
慰霊の日
慰霊の日、沖縄の日本軍による最後の戦いが糸満市で行われたと聞く、
自分は、島根県西部の小さな田舎に住んでいたので、戦時中飛行機が飛ぶのも見たことが無かった。
ただ、母と小さな小川の傍にいたとき、南南東の方角で「どろ~ん」という鈍い音を聞いて、何だろう??と話し合たことは、今でも覚えている。
後に原子爆弾であったことを聞かされたのだが・・・
妻は、南南東の方角に黒い雲を見たと云っているが・・・
終戦の後、学校で進駐軍が来ると聞き、山口県から国道9号線で来ると、遠くに山裾を下がる国道を見張り、国道の直ぐ横の茂みに隠れて、1台のジープが通り過ぎるのを待って、子供ながらに安心したことを思い出す。
沖縄の人々は、4人に1人亡くなったと聞く、自分には想像もできない情景である。
広島の下宿でも、皮が垂れ下がった女学生が並んでいる悲惨な話を聞いた・・・
もう戦うことも出来ない老いた自分では、せめてブログに書くことぐらいしか出来ないが、叫びたい!!
何故?指導者は戦争を好むのだ!一般市民はそれでみんな不幸になるのに・・・
そんなに戦いたいなら、自分が生死をかけて最前線で戦え!
正義とは何か?
如何なる主義主張でも、神でも、統治でも、名誉でも、貧富でも無い!!
他人を傷つけない、他人と共に生きることだと・・・知れ!!!
命を大切に
命を大切に、5、6才の子供を置き去りにして、餓死させ、それを7年間も部屋に置き去りにしていたとか、3才の子供にミルクを与えず餓死させたとか、聞くに堪えられない事件が起こっている。
子供の置き去りの件では、置き去りにしたとき子供から最後に「パパ・・・」と呼ぶ声を聴いたと父親が云っているとか・・・
報道されたことを聞き、胸が押し潰されそうだ。
どんなに寂しく、悲しかったか、子供の気持ちを思い起こして・・・
人として、というよりも生きている者として・・・つぎの言葉が出ないほど・・・悔しく、悲しい。
こんなことが無いような、近所付き合いのできる、小さな社会を保ちたいものだ。
最近の日本はどうなったの?
最近の日本はどうなったの?
以前は考えられなかったような事件が頻発するし、政治家は失言するし、いや失言どころかチンピラより酷い暴言で議会中に野次るし、国の政治は在らぬ方向へ進んで居るように感じられて仕方ないし、サッカーは中々勝てないし!
それでも、子供の頃から努力して、頑張って、その道で成功し、世界に知られている人が多く目につくことは、一縷の救いのように感じる。
また、常識のようにしているイベントの後のゴミ拾い、世界の人々に認められるとは本当に嬉しいことである。
只々、「発展」とか、「成長」とか、「経済」とか、「お金」とか、有るに越したことは無いが、狭い日本で欲張らずに、地道に、平和な生活を堅持する方向に、舵を切ることも大切なように感じる。
みんなはどう思うのだろうか?、年寄りの戯言だろうか?
故郷へ帰りたい
免許更新
70歳代になって2回目の免許更新に行った。
前回の更新から3年の間、全くハンドルを握っていない、止まっている車にもである。
70歳になった時、満タンにしたガソリンが半年近く無くならない程度しか利用しておらず、家内の事故警戒の忠告と少々経済的理由もあって、駐車場を解約し車を売って「70歳になったからもう車の運転はしないのだ」と残念さを誤魔化していた。しかし、それは今思うと正解であった。
横浜市では70歳以上になると敬老特別乗車券と云うのがあって、市営地下鉄、市営バス、横浜市内を走る神奈中バス、など¥8000円で一年間乗り放題、自宅から7・8分足らずでバス停に行け、どこに行くにもほとんど苦労せず、駐車場を探す手間も省け、雨の日、重いものを持った日、などタクシーを使えば・・・と痩せ我慢しようと思ったが、結果としては一度もそのようなことは無かった。
では何故?今又免許更新?、現役で在りたいという願望と、何時何処で何が起こるか分からないご時世のための気休めと、更新出来たという喜び、の為だろうか??