ちりとてちん 2008,04,04

最終回で、出産のシーンがあった。
宣さん曰く「わが家の場合は、夫の第一声が これかあー だから」と・・・・・

ちょうど出産を迎えた時期、仕事で出張しなければならない時期と重なった。

生れる日の数日前、産婦人科の先生の出産するかもしれないという言葉を期待して、
一晩促進剤を投与したりして早期出産を試みたが駄目だった。

その後、已む無く僕のおふくろを呼び寄せて出張した。
出張先では思わぬクレームが続出してなかなか帰れない。
帰りの夜行列車に疲れ果てて乗り込み、ちょうど淀川を渡る時刻に娘が誕生した。

もちろん、会社へ帰ると報告もそこそこに病院へ直行した。
宣さんが横たわるベットの横に小さな赤ちゃんが寝ていた。

それを見た僕は安心感と疲れが一気に出て、つい「これかあー」と呟いてしまった。
別に落胆して出た言葉でも、不満を抱いて出た言葉でもなく、
弛緩性出血で生死を彷徨った宣さんの事を知らなかったし、
不用意に出た言葉であった。

横に居たおふくろが、直ぐ病院の食堂に僕をつれて行き、
出産時の模様を僕に告げ、もし宣さんが助からなかった如何しようかと、
一晩中思い悩んだと涙をこぼした。

その後、ずっと機会あるごとに宣さんから「これかあー」をネタに冷やかされる。

今朝も、テレビを見ながら宣さん曰く 「あの時、お産に立ち会っていたら、
ひょっとしてその後の人生が変わっていたかもしれないね」と・・・・・・・

こんな国でよいのだろうか?? 2008,04,01

82才の男性が79才の妻を刺殺し、自分も胸を刺して自殺した。
そんなニュースと同時に、今月から75才以上の高齢者にも健康保険が課されるようになり、その額は年金を含む収入の年額が150万円?以上あれば、6,000円/月・人が徴収されるようになるそうだ。
そして、年金から天引きだそうである。しかも殆ど説明がなされていない。
テレビ・新聞によく目を通している宣さんだって、数日前まで知らなかったようだ。
年金生活をしている人々にとって、6,000円という金額の大きさがどの程度のものか、この法律を決めた議員達には分るまい。

今、75才の人たちは、終戦時小学校の6年生か高等小学校1年生か中学生、貧しい青少年期を送り、日本の復興の原動力となった年代だぞ!
自己主張と飽食の現代人とは違うから、我慢して過ごすことが出来るだろうが・・・・・

今日(4月1日)から、ガソリン価格が下がった。
「お陰様で、一回分の外食費が捻出できた」とニコニコ顔で良いのか!
ガソリンを安くするのが国民の総意だという国会議員さん、これで良いのか??

地球温暖化で世界中に危機感が広まっている今日、日本人はガソリン代を下げて喜んでいる。
ガソリンを使いやすくして、国益になるのか??
国会議員は国益を考えろ!
直ぐ近くのスーパーに自家用車で行く国民も国民だが・・・・・・・

やりきれない 2008,03,29

*駅の改札付近に8名の警察官が張り込んでいる中で、傷害・殺人事件が起こった。*
しかも、指名手配中の人間で、立ち寄る場所も予測されていて、
そこで警察官を含む8人が殺傷にあった。

なぜ??警察官は自分達の任務を発揮できなかったの?

**大阪府から青年が岡山駅まで行って、ホームの人を突き落とし、**
誰でも良いから殺したかった?
「人を殺せば刑務所に入れる」と?

なぜ??これらの犯人はこんな行動を起したの?

加害者と被害者の夫々の父親の苦渋に満ちた記者会見・・・・・なんともやりきれない!

***小学6年生の男の子、卒業式の夜自宅ベランダから飛び降り自殺!***
卒業式の行事で悪さをして、叱られて、ごめんなさいで自殺??

なぜ? 僕の中ではふっと考えることがあっても、実行できない!!
直ぐに結果が頭をよぎり、親・兄弟・妻・子供、友達、みんなの哀れむ姿が脳裏に浮かぶ。

現代社会は、何かが狂ってきている? あんな事が平気で出来る。

社会の指導的立場にある人々は、もっと根本的なところから、
日本社会の健全化を考え、
お金儲けが正義の社会から、みんなで生きる事を正義と考える、

そんな社会へ舵きりをして欲しい。

≪魅惑のワルツ≫ 2008,03,27

昨日のNHK衛星第2で「黄金の映画音楽館Ⅱ」を観た。
久し振りに懐かしい音楽を聴き、ゆったりした気持ちになれた。
最近、流れてくる音楽とはなぜか波長が合わず共鳴しないが、昨夜はよかった。

下宿で弾いていたギターの曲の「魅惑のワルツ」は色々な思い出を蘇らせてくれた。

イリークーパーとオードリーヘップバーンのシーンが画像に出て、
良い気持ちで観ていたのに、
ふっと「もう、70年も生きている。いやになっちゃうナー」と、つぶやいた。
横から、宣さんが「大丈夫よ、これから70年は生きられないから」と・・・・・・。

なぜ、こんな事をつぶやいたのか?わからない。
いつも心の中にあるのだろうか?

動いている時は、年齢を全く意識しないで、何時までも同じ気持ちである。

これについても、宣さん曰く「人間は錯覚で生きているのよね」と・・・・・。<br><br>

島根県 2008,03,22

「ワースト脱出大作戦」 というNHKの番組があった。

ある調査会社のアンケートによれば、
日本で一番何処にあるか分らない県は、

島根県と言うことだ。

そこで、島根県の位置を宣伝して、その結果どのように変わったかという番組である。<br>
島根県が何処にあるか最も知らなかった沖縄県でのPRを最も長く放映し、
日本ハムの梨田監督のキャンプでの宣伝など、
出身者としては心温まる光景が続いた。

そして、再アンケートの結果が公表される。
知られない順で
順々に公表して、5位:鳥取県、4位:福井県、3位群馬県、
残りの1位、2位を一緒に開いて、

やはり、島根県が1位だった。   2位が栃木県。

だけど、この一年で最も有名になた県は、宮崎県。

2位が、島根県。

いいじゃないか!! 島根県

Firefox_Portable 2008,03,20

先日友人から、パソコンに痕跡が残らない方法で、他のパソコンを利用することが出来る話を聞いた。
是非教えて欲しいとお願いしていたら、今朝のメールでその方法が届いた。

Firefox_Potable である。

ちょっと、時間の合間にインストールした。
今このページはUSBメモリーのソフトで動かしているから、USBを抜き去ればパソコンには残らない。
これで、パソコンを持たないで出張しても、出張先にパソコンがあればチョット借りて、ホームページの更新も出来るし、メール検索も出来る。

ありがたいことである。

敬老パス 2008,03,19

横浜市には「横浜市敬老特別乗車証(敬老パス)」という制度がある。
高齢者の社会参加の支援を目的として、
70歳以上の市民に、申込により敬老パスを渡すというものだ。

この敬老パスを提示すると、横浜市営バス、民営バス市内区間、市営地下鉄、
金沢シーサイドラインを利用できる。

その敬老パスの入手案内が届いた。

このパスを入手するには、ある程度の負担が必要であり、
生活条件によって無料から年間15,000円まで4段階がある。
僕は第三段階で申込が出来る。

頻繁に横浜市内に出かけているから、
このパスは「水戸黄門のご印籠」に近い価値がある。
すなわち、一か月分のバス代で一年間自由に市内交通機関に乗れることになり、
その利用度はもっともっと増えるだろう。

お陰で、社会参加がずっとしやすくなり、横浜市の目的も果たせるというものだ。

早速昨日、満面に笑みを浮かべて、申込書をポストに投入した。

どうなっている日本!! 2008,03,15

原油価格:$110の大台に!

1$:99.05円!

太平洋の米中山分け説!

なのに、国会では審議が進まず。

日銀総裁決まらず。

国民を出汁にして、自分達の勝手ばかり!

人の弱みに付け込んで、弱いものいじめをする。

前向きに、国家を論じられない国会議員なんて、みんな辞めてしまえ!!

恥を知れ!

恥ずかしさを忘れた公務員なんか、みんなくたばれ!

日本の恥だ!!

もう我慢が出来なくて、恥ずかしい事だが、書き残しておく。

80歳現役に向かって! 2008,03,15

≪ 個人事業開設 ≫
70歳にして、個人事業を開設した。
屋号:エヌワイアシスト   NYassist
「N」は宣さんの「N」、「Y」は豊の「Y」、二人で役立つ事をしよう! と云うわけである。
僕は、昨年2月に狭心症を患って、次のような手術を行なった。
手術と言っても、手首の動脈から管を入れて、心臓周辺の狭まった血管を膨らませるのだ。
下の写真はその時の手術前と手術後である。
[img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent01.gif[/img][img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent02.gif[/img]
僕の場合は、11月ごろ出張先で歩行中に胸が苦しくなり、
ベンチに5分程度座って休んだ事があった。
その後、時々その様なことが起こっていたが、当初はあまり気にしなかった。
しかし、坂道を登ったり、急に歩いたりすると苦しくなる。
それがだんだん頻繁になって、2月には広尾駅から東京都中央図書館までの坂道で、
2回も休まなくては行き着けなくなって、これはヤバイと思って翌日病院へ行った。
「心臓の半分は腐っているかも知れない」
と、先生から脅かされ直ぐ入院だ。
その日の夕方、カテーテルの検査を受け、
「心臓は大丈夫、ステントを入れたら元気になれるから」と先生から励まされ、
一週間後にステントの手術を受けた。
お陰様で、その日から普通に戻り、苦しくなくなった。
その間の1週間、病床の中でホームページの作り方「ZOOPS」をマスターする事が出来た。
その結果が、このページである。(笑い ;;)
今日友達と話していたら、彼の兄さんが同じ手術をして、
また再発し4回目は同じ事が出来なくて開胸手術をされたとか、
その席にいた先輩はつい最近2回目の手術をした。
僕もその内、再発するかもしれないが、今のところは元気一杯である。
だから、-個人事業開設- と云う訳である。
出来るだけ長期間、このファイトを保って生きたい。
頑張れ! 80歳現役に向かって!!
個人事業開設 ≫
70歳にして、個人事業を開設した。
屋号:エヌワイアシスト   NYassist
「N」は宣さんの「N」、「Y」は豊の「Y」、二人で役立つ事をしよう! と云うわけである。
僕は、昨年2月に狭心症を患って、次のような手術を行なった。
手術と言っても、手首の動脈から管を入れて、心臓周辺の狭まった血管を膨らませるのだ。
下の写真はその時の手術前と手術後である。
[img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent01.gif[/img][img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent02.gif[/img]
僕の場合は、11月ごろ出張先で歩行中に胸が苦しくなり、
ベンチに5分程度座って休んだ事があった。
その後、時々その様なことが起こっていたが、当初はあまり気にしなかった。
しかし、坂道を登ったり、急に歩いたりすると苦しくなる。
それがだんだん頻繁になって、2月には広尾駅から東京都中央図書館までの坂道で、
2回も休まなくては行き着けなくなって、これはヤバイと思って翌日病院へ行った。
「心臓の半分は腐っているかも知れない」
と、先生から脅かされ直ぐ入院だ。
その日の夕方、カテーテルの検査を受け、
「心臓は大丈夫、ステントを入れたら元気になれるから」と先生から励まされ、
一週間後にステントの手術を受けた。
お陰様で、その日から普通に戻り、苦しくなくなった。
その間の1週間、病床の中でホームページの作り方「ZOOPS」をマスターする事が出来た。
その結果が、このページである。(笑い ;;)
今日友達と話していたら、彼の兄さんが同じ手術をして、
また再発し4回目は同じ事が出来なくて開胸手術をされたとか、
その席にいた先輩はつい最近2回目の手術をした。
僕もその内、再発するかもしれないが、今のところは元気一杯である。
だから、-個人事業開設- と云う訳である。
出来るだけ長期間、このファイトを保って生きたい。
頑張れ! 80歳現役に向かって!!
個人事業開設 ≫
70歳にして、個人事業を開設した。
屋号:エヌワイアシスト   NYassist
「N」は宣さんの「N」、「Y」は豊の「Y」、二人で役立つ事をしよう! と云うわけである。
僕は、昨年2月に狭心症を患って、次のような手術を行なった。
手術と言っても、手首の動脈から管を入れて、心臓周辺の狭まった血管を膨らませるのだ。
下の写真はその時の手術前と手術後である。
[img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent01.gif[/img][img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent02.gif[/img]
僕の場合は、11月ごろ出張先で歩行中に胸が苦しくなり、
ベンチに5分程度座って休んだ事があった。
その後、時々その様なことが起こっていたが、当初はあまり気にしなかった。
しかし、坂道を登ったり、急に歩いたりすると苦しくなる。
それがだんだん頻繁になって、2月には広尾駅から東京都中央図書館までの坂道で、
2回も休まなくては行き着けなくなって、これはヤバイと思って翌日病院へ行った。
「心臓の半分は腐っているかも知れない」
と、先生から脅かされ直ぐ入院だ。
その日の夕方、カテーテルの検査を受け、
「心臓は大丈夫、ステントを入れたら元気になれるから」と先生から励まされ、
一週間後にステントの手術を受けた。
お陰様で、その日から普通に戻り、苦しくなくなった。
その間の1週間、病床の中でホームページの作り方「ZOOPS」をマスターする事が出来た。
その結果が、このページである。(笑い ;;)
今日友達と話していたら、彼の兄さんが同じ手術をして、
また再発し4回目は同じ事が出来なくて開胸手術をされたとか、
その席にいた先輩はつい最近2回目の手術をした。
僕もその内、再発するかもしれないが、今のところは元気一杯である。
だから、-個人事業開設- と云う訳である。
出来るだけ長期間、このファイトを保って生きたい。
頑張れ! 80歳現役に向かって!≪ 個人事業開設 ≫
70歳にして、個人事業を開設した。
屋号:エヌワイアシスト   NYassist
「N」は宣さんの「N」、「Y」は豊の「Y」、二人で役立つ事をしよう! と云うわけである。
僕は、昨年2月に狭心症を患って、次のような手術を行なった。
手術と言っても、手首の動脈から管を入れて、心臓周辺の狭まった血管を膨らませるのだ。
下の写真はその時の手術前と手術後である。
[img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent01.gif[/img][img align=center]http://antenacafe.com/ymyurah/modules/news/images/stent02.gif[/img]
僕の場合は、11月ごろ出張先で歩行中に胸が苦しくなり、
ベンチに5分程度座って休んだ事があった。
その後、時々その様なことが起こっていたが、当初はあまり気にしなかった。
しかし、坂道を登ったり、急に歩いたりすると苦しくなる。
それがだんだん頻繁になって、2月には広尾駅から東京都中央図書館までの坂道で、
2回も休まなくては行き着けなくなって、これはヤバイと思って翌日病院へ行った。
「心臓の半分は腐っているかも知れない」
と、先生から脅かされ直ぐ入院だ。
その日の夕方、カテーテルの検査を受け、
「心臓は大丈夫、ステントを入れたら元気になれるから」と先生から励まされ、
一週間後にステントの手術を受けた。
お陰様で、その日から普通に戻り、苦しくなくなった。
その間の1週間、病床の中でホームページの作り方「ZOOPS」をマスターする事が出来た。
その結果が、このページである。(笑い ;;)
今日友達と話していたら、彼の兄さんが同じ手術をして、
また再発し4回目は同じ事が出来なくて開胸手術をされたとか、
その席にいた先輩はつい最近2回目の手術をした。
僕もその内、再発するかもしれないが、今のところは元気一杯である。
だから、-個人事業開設- と云う訳である。
出来るだけ長期間、このファイトを保って生きたい。
頑張れ! 80歳現役に向かって!!

70歳にして、個人事業を開設した。

屋号:エヌワイアシスト   NYassist

「N」は宣さんの「N」、「Y」は豊の「Y」、二人で役立つ事をしよう! と云うわけである。

僕は、昨年2月に狭心症を患って、次のような手術を行なった。
手術と言っても、手首の動脈から管を入れて、心臓周辺の狭まった血管を膨らませるのだ。
下の写真はその時の手術前と手術後である。

僕の場合は、11月ごろ出張先で歩行中に胸が苦しくなり、
ベンチに5分程度座って休んだ事があった。
その後、時々その様なことが起こっていたが、当初はあまり気にしなかった。

しかし、坂道を登ったり、急に歩いたりすると苦しくなる。
それがだんだん頻繁になって、2月には広尾駅から東京都中央図書館までの坂道で、
2回も休まなくては行き着けなくなって、これはヤバイと思って翌日病院へ行った。

「心臓の半分は腐っているかも知れない」
と、先生から脅かされ直ぐ入院だ。
その日の夕方、カテーテルの検査を受け、
「心臓は大丈夫、ステントを入れたら元気になれるから」と先生から励まされ、
一週間後にステントの手術を受けた。

お陰様で、その日から普通に戻り、苦しくなくなった。

その間の1週間、病床の中でホームページの作り方「ZOOPS」をマスターする事が出来た。

その結果が、このページである。(笑い ;;⇒今年このページは閉鎖し、本サイトに統合した。

今日友達と話していたら、彼の兄さんが同じ手術をして、
また再発し4回目は同じ事が出来なくて開胸手術をされたとか、
その席にいた先輩はつい最近2回目の手術をした。

僕もその内、再発するかもしれないが、今のところは元気一杯である。

だから、-個人事業開設- と云う訳である。

出来るだけ長期間、このファイトを保って生きたい。

頑張れ! 80歳現役に向かって!!

友を送る 2008,03,10

3月5日、友の訃報が届いた。

もう、8年ぐらい前になるだろうか。

二人で、津和野町の街外れにある集落の下見に行った。

その時、ウグイスの綺麗なさえずりに出会い、山の端に沈む夕日を眺め、その集落の素晴らしさを、若者のような情熱を持って語り合った。

此処にしよう!

数日後、二人で自治会長を訪ね、集落の素晴らしさを語って、住民の手による地域振興策を説いた。

その後、集落では賛否両論が出て半年ぐらい経って賛同の回答を受け、集落の皆さんとの会合が始まった。

僕は、当時色々なことに係っていたので集中できなかったが、友が中心になって集落の人々と活動を続け、県知事や俳優の柳生さんが訪れて下さるまでになった。

友は、大学を出て製薬会社へ就職し、後に故郷へ帰って自然の中で生きる事を独学で勉強した。

石見の山や川、海のこと、料理、生け花、お茶の作法など何でもこなした。

特に僕が重宝したのは、彼の「きのこ」の知識で、珍しい「きのこ」を沢山賞味することが出来た。

残念ながら僕の方に事情が生じて、この活動から離れ横浜へ帰ることになり、少し疎遠になってしまった。

そして今、横浜から彼の旅立ちを想いながらこの記事を書いている。

友は、どのようなことを思いつつ旅立っただろう・・・・・・・・

友と集落の人々が挑戦した「縄文の館」は、どうなっていくのだろう・・・・・・・・