ひとの想い:雀の子の詩を聞いて

ひとの想い:雀の子の詩を聞いて
今朝のテレビコマーシャルで、金子みすずの「すずめの子」の詩を聞いて、カミサンと話していて違う受け取り方をしていたことが分った。

子雀を捕まえた子供を見て、雀のおかあさんは、ひとのおかあさんと同様に、子供を信頼して黙ってみているのだ、と思っていたが、カミサンはおかあさん雀の声を出せない悲しみを感じていたそうだ。
大体において、ちょっと「おいそれ馬鹿」である自分を感じてはいたが、カミサンの感じ方を聞いて、なるほどナ・・・ と思った。
金子みすずが暮らしていた山陰地方やその時代を考えると、みすずの中に女性が意見を言えない悔しさや悲しさが入っていてもおかしくない。
ひとのおかあさんが、当時の男や権力者であり、雀のおかあさんは、みすず自らであり当時の女性の立場であったかもしれない。
おいそれ馬鹿の自分は、何事も善意に前向きに考えて良い方に解釈し、天下泰平なところがあると少々反省をし、すでに他界している母や兄に「夢見る夢子」といわれていたことを思い出した。
ひとの想いが生い立ちや環境で夫々違う、違うのが当たり前であることを肝に銘じて発言や行動をしなければ成らない、ただ善意だけでは通用しないものだと、カミサンに教えられた気がする。
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写真は、毎年この時期になると玄関に出ている蛙である。