20才年下の甥っ子の逝去の知らせを受け、「のぞみ」に乗って大阪へ向かった。
ここ十数年は、飛行機か自家用車を使って東海道を行き来していたので、
「のぞみ」は、初体験に近かった。
新横浜の駅も随分変わっていたし、車窓から見る景色も久し振りであった。
若い頃に仕事で通った、熱海、新富士、静岡、名古屋・・・・・・・
今日の富士山のように晴天でありながら薄っすらとしか記憶に残っていない。
上司や友人の弔辞から想像される甥っ子の生前の様子は、
僕が知る彼のそのままの姿で、何だか安堵感を感じた。
最後のお別れで花に囲まれた彼の姿を見て、人には言えない「羨ましさ」を覚えた・・・・・・
・・・・・・「彼は人生を無事に終わることが出来たのだナ-」と・・・・・・
こんなこと思った事も無いのに・・・・・・・・
自分の心の中に人生を全うするという意識が芽生えているのかナー
「生れ故郷でお別れ会を・・・・・」といって、
長男の遺骨が入ったリュックを背に担いで帰路につく兄貴の姿は、いつまでも僕の記憶から消え去るることはないだろう。
そして、機会ある毎に、兄貴夫婦のこの時の姿を思い出して涙が湧いてくるだろう。
何も出来ない僕は、せめてもの気持ちで兄貴夫婦が宿泊する新大阪のホテルまで送って行った。
これが兄貴夫婦に対して出来る僕の精一杯のことだった。