久々のセミナー受講

久々のセミナー受講
2013-06-11 最近は、3年前から従事している仕事に追っかけられて、それ以前のように展示会やセミナーで東京へ行くのも少なくなり、このようにブログを更新するのも疎らになってきた。
「知財、global innovation,next generation」というテーマのイノベーション創出セミナーに参加した。
「自分が経験してきた仕事の仕方などを次の世代に伝えたい」という気持ちを持っている関係から、どのようなことが語られるのか興味があった。
会場は、東京駅前の三菱ビル コンファレンススクエアM+ 10階 グランド で、東京駅が新しくなってから行っていない、去年の1月に行ったぐらい??
地下が大きくなってすっかり様子が変わり、会場へ行き着くまで、彼方此方とうろうろしてしまった。
セミナーは、アイディア段階から事業化までの色々な課題について、特に開発資金の問題について、パネルディスカッション形式で討議され、会場からも意見が出て、非常に興味深く、また大変参考になった。
それと、自分がもっと世界の最先端の現状を知らなければ、過去の人になってしまうという恐怖感も同時に味わった。
その点では、今ある分野の知財の調査を日課として行っていることは、一つの救いのように感じ、機会があったらこのようなセミナーへまた参加したいという意欲も戴いた。

野草たち

2013-05-24 12.31.31あまり見慣れない野草??を、いつもスーパーへ行く道の傍で見つけた。
この植物は、野草なのか?何処からか運ばれてきて路の傍に顔を出したのか、我々には分からない??また、調べてみる気もない。
名前やいきさつを知らなくても、お互いに溶け込めればそれで良いのだ。
2013-05-24 12.32.08早速カミサンが活けた。
瓶は、グラッパの空き瓶で、とてもよく似合うと写真に収めた。
我が家には何故か野草が似合う??
第一、周辺の置物や家具などの邪魔をせずに、実にしっとりと穏やかに思えるのだ!
今は、ドクダミ草が良い、可憐な花をつけている。
2013-06-02 17.57.58野草は強く、水の中で根を出すものも少なくない。
我々はこんな野草に力をもらっているような気がする。

久し振りの余裕の数日

porch20130501久し振りの余裕の数日、5月の連休で週一回の定例会がお休みとなり、少しゆったりと過ごしている。
しかし、仕事を休んでいるわけではなく、次の目標に向かっての勉強で、
「日経PC21の6月号」を買って、タブレットの研究
「マクロの実践技」を買って、エクセル2010の研究
すべて、次の夢の実現のための準備である。
来週は後期高齢者に突入と云う年齢であることを感じながら、開発意欲は衰えていないことに、自分でも驚いているが・・・
今日は、このページ以外に
料理と猫とインテリア
アンテナカフェ・コム メモ
これら2つのブログに投稿出来ることが、まさに「余裕の日」である。



ちょっと不安な日々

ちょっと不安な日々が続く!
気候も上下が激しく、ここ2・3日ぐらい春?初夏らしい?日だが、風が強く寒かったり・・・
今朝のテレビで、わが国の首相が背広の上に迷彩服を羽織って、戦車に立っている画像が目に入った。
まさか、どこかの国ではあるまいに!と、目を疑ったが、かみさんも見たといったので、自分の眼が狂ったのではなさそうだ。
いま、隣国が注目している時期に、ギクシャクしている時期に・・・
何故こんなことをしなければならないのか?
自分から進んでしたことなのか??
尋ねてみたい気がする???
また、国会議員がゾロソロと靖国神社へ詣でるなど、自分の考え方からすると、理解できないことである!
なぜ?・・・かって太平洋戦争当時進駐した先の国々が、今でも嫌がっていることを、自分の国のことを自分たちがしているのだから干渉するな・・・これはないと思う。
これでは解決するものもしなくなる・・・
自分勝手で良いなら、相手の方も相手勝手で良いことになる、譲り合ってこそ解決の道があると思うが・・・

最近国民の間で、昔は稀だった尊属殺人が、日常茶飯事、毎日報道されているといっても過言でないほどだ!
そして、庇わなければならない強い立場の者が弱い立場の者を傷つけている・・・
もっと、現実的で、共に生きるという知恵を働かせた日々を送る必要があると思うが・・・
我が国は何処へ行こうとしているのか、孫・子の時代はどうなるのか?
不安になる日々だ!

鶯が来た

鶯が来た!
ベランダからすぐ近くに見えるこの藪の中から聞こえてくる。
鳴き始めのころはホーホケキョがはっきりせず、鶯か何か分からないのが普通だが・・・
相当ベテランになった鳴き方で、ホーホケキョがはっきりとしている。
写真を撮って、大写しにして探してみたが、どこにも見当たらない? 写真を撮り終えても鳴き声は続いたのだから、逃げて見つからないわけではないが??
昼休みの散歩に出て驚いた!いつの間にか木々に若葉があふれ、うす緑に輝いている。
思わず家へ引き返し、写真機を持ち出して次の写真を写した。
寒い日が続いていたが、やはり春は確実に来ている。ひょっとして、通り過ぎるのではないかと心配だ。
今年の夏は暑いと云われているから・・・



君子蘭 お疲れさま又来年

君子蘭 綺麗な花をありがとう。4月14日、最後の1つになった花。

今日(19日)には、すっかり散髪され、こんなになった。
切り取られた葉は、こんな形で活かされている。

その後の君子蘭

君子蘭はその後周囲の花が枯れて、中央に伸びていた四つの花弁の花の横の3っの蕾が開き始めた。
そして、今日は3っの蕾の一番遅かった花が、最後を迎える状況だ。
桜よりは花が長く持つけど・・・
寂しくなるなー!

涙は続く 復興財源の行方

涙は続く 復興財源の行方!
今朝のニュースで、瓦礫受入を検討しただけで、受入を実行しないのに、86億円も交付され、返還する方法が条令にないので、返還する意思がない市のごみ処理施設の話題があった。
役人は、法律や条令等を守って仕事するのだから、条令が理不尽であっても条令通りに実行するのが当たり前、のような話であったが、一般庶民からすると、では「条令は誰が作って決めたのか」と言いたい!
そして、決めた者に責任を取って貰いたい。
我々庶民は300円のコーヒーを飲むにも躊躇し、生活を守るために一生懸命働いている中から、僅かであっても、復興税を納めるべく努力している。
そんな中で、総額178億円もが実行なしで交付されるとか!
呆れてものが言えない!!
しかも、ある市長の発言では、市長の最大の任務はお金を採って来ることだから・・・とか 涙!
大人がこんな前例を作って、将来を担う子供たちを育てたのでは・・・と、
心配してみても始まらないことではあるが・・・



就労社会の闇

就労社会の闇 と感じる報道があった。
 原発事故による汚染地区の除染作業で、環境省から発注した仕事がJVから下請けにだされ、その下請け先が6次下請けまであり、低賃金であるだけでなく危険手当までピンハネされていたようだ!
こんなことってあって良いことだろうか?
発注者側はもちろんのこと、関係官庁など見て見ぬ振りをしないで、良心ある人々は早く問題として取り上げるべきだ、と思う。
 10年も前の話になるが、故郷近くの山間地で豆腐屋さんの起業に参加したことがある。
地域の人々がお金を出し合って、県の助成を受けて始めたとき、収支計画予算から時給400円でスタートした。
後になって、最低賃金よりも低い時給で働かしてはならない、との指導を受けたが、働いている人は開業資金を出し合った仲間なのに?と思ったものだ!
 色々専門的な得意分野を分担して、仕事を完成するために下請けに出すことは、お互いを活かす上で必要なことであるが・・・
汚染地域の除染作業の仕事で、6次まで下請けに出さなければ目的が遂行できないとは到底考えられず、目的がピンハネということにすり替わっているとしか思えない。
それでなくても、被災地の人々には就労機会が少なく困っておられるのに・・・
しかも、支給されている危険手当を支払っていなかったとは・・・
 この大震災は、世界から注目され、色々な国々から支援を受け、国民は復興税や寄付、ボランティア、特に知名度の高い人々やスポーツ選手などが、色々な面で励ましを行ない、日本も捨てたものではないと、誇りに思っていたのに・・・
こんな就労社会の闇が横行して良いものだろうか??
本当に驚いた、自分では考えもつかない、残念な出来事である。




松井秀喜選手ありがとう

松井選手ありがとう。
昨朝(12月28日AM7:10~)、松井秀喜選手の引退記者会見を聞き、並々ならぬ彼の思いを感じることが出来た。
常日頃、松井選手が早く日本に帰ってプレーすることを願っていたが、今回の記者会見を聞いて「なるほど・・・」と、頷く点が数々あった。
その中で最も感じたことは、日本一の強打者としての自負と、加齢による体力の先行きである。
日本一の強打者である者が、自分の現状を見つめた中で、おめおめと日本に帰ってプレーを続けるわけにいかない・・・
という気持ちは、正に日本男児の心意気である。
欠かさず見ていた再放送:NHK連続時代劇「薄桜記」に出てくる主人公「丹下典膳」に見る、五味康祐の武士道にも似た、男子の生き方である。
テレビの中の「お笑い芸人」などが、作られたギャクで演じる、「人格を失った姿」が溢れている、現在の日本で、ホッと、救われたような思いがした記者会見であった。
松井秀喜選手のようにはいかなくとも、自分の本心を飾らず表現して、生きて行けるような世の中になってほしい。
現在のあらゆる分野で、自分の本心でなく、何かに操られて、自らを失った、そんな人々の姿が多すぎる。
その原因が、本来単なる交換手段の一つであった「お金」と、個人の自由を履違えた「我儘」にあるような気がするが、如何だろう??