十二指腸穿孔 絶食・点滴治療で36日目に退院

症状増悪時には手術になる可能性ありだったが、無事退院することが出来た。

入院中はテレビに噛り付き状態で、高齢者の大きな交通事故を視聴して、免許証の返還まで考えたが、退院するころになると元気が出てもう少しと伸ばした。

重湯から5部粥、全粥、ご飯と食が改善されるにしたがって、体の中に活力が漲ってきて、結局もう少しとなったが、車を手放した時の様子を想像し、バスの便など調べてゆくと、もうほとんど外出もしないで暮らすという状態になった訳でなく、手放した時の「どんどん高齢化が進んで気力がなくなっていくことを想像すると、とても生きる望みもなくなってしまうと思われる。

自宅へ外泊の時の路傍の草花 5/02

結局、車に乗ることにしたが、体重が7Kg減ったお陰で体の動きも敏捷になっているので、精神的な負担をすくなくしながら、また近距離に限定しながら事故を起こさないこととする。

入院中は時間を持て余し、色々なことを考えさせられた。車のことも大きなテーマだったが、残りの人生をどのように送ればよいかが最も大きな課題である。こんな時間を過ごしたのは大げさに言えば生まれて初めてであるから、入院中の記録を作って後々の参考にしたい。

今八幡宮まで散歩

入院してから毎日眺めていた今八幡宮まで来た。院内で歩くのと院外を歩くのが、こんなに違う! とは思わなかった‼️

石段の下で休み、明日は上まで登ろう❗️

今八幡宮の石段の下で一休み

と、ひっかえした。1ヶ月足らずの入院がこんなに弱気にするとは??思いもしなかった。

今八幡宮の大きな檜、あの下へ行きたい。

暴飲暴食が祟って十二指腸に穴が開き、4月4日から山口日赤病院に入院中。

手術がきびしい場所で自然治癒を薦められ、大賛成してもう一月近く過ぎた。

その間、桜は散り、元号は平成から令和にー

鼻に通した管が外され、ぶら下がっていた点滴も3本が1本になり、しかも昼間の6時間に短縮された。     点滴支えの相棒を、同伴無しで歩ける快適さ。

20日近く続いた完全絶食から、水とお茶だけ、どこに米があるか分からない粥、五分粥、全粥へ、お米の香りやうまさを沁々と味わう。

元号の移行に併せ、平成天皇の思考と活動努力に肝銘、自分も日本人の一人としてこうしてはおられない、最後の社会奉仕を何か一つでも考えたい。

スマホで交流「ルピナスの会」の企画を開始、シルバー世代が生活弱者に成らないために ❗️

高齢者の重大事故が続く、他人ごとではない ❗️    自家用車を廃車にする断捨離を大決心 ❕

長期入院して初めて知ったことだけどー     

病棟で働く人たちの努力には頭が下がる。身を粉にして働くとは、正にこの事だ ❗️

何でもかんでも経済/経済と、お金のことを先に気にするエコノミックアニマルだが、此処にお世話になって、共に生きることを先に考える。

病院だからあたりまえと言われるかもしれないが、それは違う! 自分だけでなく、共に生きるという強い意志だ ❗️

この経験を活かし、残り少ない人生を、納得できるものにしよう🙋🙌🙆

一人ぼっちになった


妹他界の訃報をうけた。覚悟はしていたがー 悲しく  さびしい、

通夜に行きたい、何もできなかったが、せめて最後に見送ってやりたい!

しかし、家内の大反対に屈して、両親の写真の前で「久枝がそちらへいったよ」と、久し振りに般若心経を唱えた。

翌朝、家内が僕を気遣って「実家に行こう!」と提案してくれた。

義姉さんと相談して、献花、香典の手配をして、やっと落ち着きを取り戻し、三人で昼食を食べた。

今年の5月、大学の同窓会で京都へ行ったとき、妹を見舞った。元気そうであったが、治療のために大きな痛手を受けていて、痛々しく長居は出来なかった。その時の握手の感覚と、帰りの電車の中から空ろに眺めた大阪の空が、今もなんとなく思い出される。

とうとう5人兄弟の中で自分だけが生き残り、一人ぼっちになった。

山口市徳地 いなか家 へ

山口市徳地地域の「まちづくり」会に誘われて、
5月初め頃から徳地地域交流センターへ、顔を出すようになった。
つい最近の、2回目の顔出では、
午前中は山口市徳地サテライトカレッジに出席し、
午後からの地域づくり会まで時間があったので、
そばの美味しい処として紹介された「いなか家」へ行った。
自分では日本ソバのつもりだったが、
「いなか家」は、らーめんと牛ステーキの店だった。
店の様子は、ここをクリック
この日は雨で、近くの駐車場が満車で入れず、
直ぐ先の駐車場に止めた。
そこに、傘が数本置いてあって、使用するように書かれていた。
こんな気遣いが出来るお店はうれしい-
山口に来て初めて「また食べに来よう」と、
カミさんに話せる店だった。

80才現役から80才代現役へ

本日、80才現役から80才代現役に成長した。
故郷へUターンしてから失望の連続でうろうろしたが、
隣町の山口市に引っ越して、やっと希望が持てるようになった。
やっと、居場所らしいものを見つけた。
現在、山口市シルバー人材センターに登録して、パソコン班に在籍し、
パソコンの利用方法をアドバイスする仕事を月に2日している。
横浜に居るときは年齢を感じることなく、
ジェネラルアドバイザーとしてNPOなどで自分の存在価値を認識しながら週に2~3日は出かけていた、
当地方へ帰ってからは年を重ねる毎に爺さんらしさを思い知らされ、
自分の居場所に納得できなかった。
人材センターに登録して、仲間が増え、自分の居場所が次第に分り、
最近はスマホ動画の専門家になりたくて励んでいる。
この年齢になると、ジェネラルでは最早通用しない。
何か秀でたところが必要である。
現在の自分にできることは、時間の利用である。
体の動きは鈍いが、まだまだ頭は使える!
有り余る時間を有効に使って、秀でるものを見つけることだ。
時間をかけて出来るところが居場所となりそうだ!
頑張るぞ!!

最近の動画:YouTube:「山口市 100円バスの小さな旅」

よかったら、チャネル登録をお願いします。

山口市へ転居

2年前、故郷「津和野町」へUターンした。
故郷での生活に対する夢は実現できなかったが、当初の第一の目的は達成した。
ずっと住めれば一番良いのだが、
生活環境が違い過ぎて、今後元気で暮らす自信をなくし、
山口市へ転居した。
当地は、長年住み慣れた都市部の生活環境に近く、末永く住めそうだ。

これを機会に、
サイト名称を「アンテナカフェ故郷」から「アンテナカフェみうら」に変更して、
加齢するに伴って生活習慣や考え方が変化する様を記述する。

蝶々 アサギマダラ

%e3%82%a2%e3%82%b5%e3%82%ae%e3%83%9e%e3%83%80%e3%83%a901
先日、実家の花畑に「アサギマダラ」という珍しい蝶が来ていると、姉から連絡があった。
海を渡って沖縄の方まで行き来する蝶々だと聞いてはいたが、まだ見たことがない。
蝶が飛ぶような天候でもない曇天に、津和野の実家を訪問した。
初めは居なかったが、お昼頃になって一羽見つけた。
しかし、すぐに遠くへ飛んで行ってしまった。
その内、三羽現れ、楽しませてくれた。

imgp7634l 羽を動かす程度の動画であるが、動くと臨場感がある。

似たような蝶々は子供の頃からよく見ていたが、その蝶々より大きく、
尻の方の羽が赤茶色であるところが大きく違ている。
この蝶は、どの花にでも来るわけではなく、フジバカマなど決まった花にしか来ないのだそうだ。
姉が、今年は5~6羽だが、来年もっと来るように、
フジバカマを株分けして増やそう!、と張り切っている。
乞うご期待である!!

寄る年波を強く感じる日々

前回の投稿からもう1年10月が過ぎてしまった。
保土ヶ谷の自宅マンションの販売、故郷島根への移転、借家の整備、義姉の目の手術立会、プランタによる野菜の試作・不達成、キャリヤを生かした後期高齢者就活の不達成、その上弟の逝去 ーーー

連日続く暑さの中で、ドンドンと落ち込んでゆく自分を感じながら、年齢のハンディを痛いほど感じる。

これでは老いて逝くばかりだ!

そこで大決心:
書いていたブログサイトをリニューアル、積み重ねてきた我が提案の記述ページとする。
ーーー今はリニューアルに失敗して、サイトが表示できない状態であるがーーー

そして、このサイトに自分の感情をぶっつける!!

船方牧場を散策して十種ヶ峰登山口へ

船方牧場1
久し振りの晴天に誘われて、船方牧場へ出向いた。
船方牧場では、凡そ20年前、益田市で農業を志すにあたって、農業活動への心構えを教えて頂きに坂本社長をお訪ねし、「一口に言って、15年は頑張らないとものにならないよ! 」とお聞きしたことを覚えている。残念ながら諸般の事情によって、3年足らずで撤退してしまった。
その時からすると、随分広大になり自然に充実していて、心が疲れたときは又訪れたいと、満たされて牧場を後にした。
駐車場でお客さんに、近くに枝垂桜の大きな古木があると教わり、神角八幡宮まで行った。
ちょうど満開の素晴らしい枝垂桜だー
神角の枝垂桜
其処は、十種ヶ峰の登山口で、中学2年生の頃のことを思い出した。
その頃までは余り積極的でなく引っ込み思案の少年だったが、2年生になった春過ぎにクラスの十種ヶ峰登山があって、頂上付近で鬼ごっこをみんなでした。
クラスにはちょっと大柄で色白の活発な女の子が居て、彼女が鬼になったとき僕は追われて直ぐ捕まった。その時の肩を叩かれた彼女の手の感触が半世紀たっても何となく覚えているくらい感動的なものだった。
其の頃から僕の声は大きくなり動きも活発になり、成績も上向いて、地元の高等学校へ合格するか否か心配していたのに、結果は20番ぐらいの良い成績で合格した??、今思えは、これが初恋だったのだろう?
しかし、彼女とはその後話をしたこともなく、ただ遠くで眩しそうに眺めていただけだった。
十種ヶ峰登山口案内図
そんなことを、登山口の案内板を見ながら思い出した。

船方牧場散策動画
船方牧場散策動画