生きることの辛さ・悲しさ

生きることの辛さ・悲しさ

今悲しい思いに身体中を占拠されている。
まだ僕よりずっと若い同僚が、脳梗塞で入院した。
客先で打ち合わせ中にガーンときて、その日は自力で帰宅し、数日休んでいたが再びガーンときて入院と聞く。
彼は頑張屋で、もっとも仕事が進んでおり、僕の一歩も二歩も前を走る良きライバルである。
彼は若いからしばらくすると元気な姿を見せてくれると思うが、

僕だったら再起不能かもしれない。
そんなことを考え、その自分の姿を想像して、涙が自然と流れ出した。
もし「もう難しいですよ」と言われたとき、衰え行く自分の姿を連想しつつ静かに寝て居れるだろうか?
どんな寂しい気持ちに追い込まれるだろうか?

2年前狭心症で入院したときは、最初先生から心臓の一部が腐っているかも??
といわれ即入院となったが、このときそのことを家内にいえず、
その日の夕刻のカテーテル検査のあと「大丈夫ステントを入れたら元気になります」と、一安心した。
このときだって、家内は大変な心配をし、近所の友人達に助けられ一週間を無事に過ごしたようだ。
僕は、先生の言葉を信じ込み、一週間の入院でダイエットし、パソコンの課題も解決した。

これは、再起が約束されていたから、骨休みぐらいの気持ちだったが、
手術が出来ませんと云われたらどうだろう・・・・・
のんきにパソコンしたり出来たであろうか??
今思うと、同室の人に対して失礼なことをしたのかもしれないと反省しているが、
ではゆっくり寝ていることが自分に出来るだろうか??

ましてや、一生病気と付き合うとなった時どんなだろうか・・・・・
生きるってほんとに辛く悲しいことなんだナー

実は、「僕だったら再起不能かもしれない。」から後のくだりは・・・兄貴のことを思って書いたものである。
一ヶ月ぐらい前、兄貴に寝酒として響を送った。
その礼の義姉の電話で、兄貴が入院していることを知った。
兄貴は僕より6才上で膵臓癌ということで検査入院している。

病状が分らない当初は、何時帰ろうか?どのような手段で帰ろうか?
後悔をしないためには早く帰って会っておきたい、と相当悩んだ。
その兄貴は、今自宅へ帰り元気になりつつある。まだ起き上がって歩き回るわけにはいかないが、電話当番をして昔と変らぬ元気な返答をしてくれる。

・・・・・・・・安心をして、この記事を書いている。