敬老の日に想う

2003,08写真の彼女は、我々夫婦と18年間も共に過ごした猫である。
彼女と初めて出会ったのは、雨の夜のマンションのエントランスで、何となくすり寄ってきて扉の内側に入れて欲しそうであったが、そのまま見過ごした。
あれは新築に入居して2年目の梅雨時期であったように思う。
それから、子供たちには可愛がられたが一部の大人に酷くされていた模様で、
家内と車で島根に出発するとき、ヨタヨタと駐車場を横切ったのを見て、「今度帰ってくる時まで持つかね」と心配して話し合った記憶がある。
その後横浜へ帰ってきて、まだ元気であるという噂と共に、「近い内に保険所送りになるようだ」との噂も耳に入った。
そして、その日が明日だと聞いた日、勤めから帰って見ると包帯を巻かれたその猫「ミーちゃん」が我が家にいるではないか!
経緯を尋ねると、近所の奥さん達が捕まえて、近所の犬猫病院で避妊手術をして、我が家に担ぎ込まれとか、手術費用は病院が半分、残りを奥さん達が折半だったとか・・・何故我が家に・・・昨年の理事長だったから?? 管理人の一人に「あの猫我が家にいます」といったら、「それは良かった」と、小声で・・・その後、ずっとしてから犬猫の飼育許可について検討が始まり、飼育者が他人に迷惑を掛けないことを証明する会が出来、会長を引き受けさせられ、3年程度を経過して認可が決まり、今は管理組合の管理下で飼育が許認可制となった・・・
そんなこんなを18年間も共に過ごし、胸の奥底で生き続けているミーちゃんである。
その間、ヴィルヌーブ保土ヶ谷の自宅、津和野の実家、益田市あけぼの西町の借家、益田市下本郷の借家、ヴィルヌーブ保土ヶ谷の借室、浜田市殿町の借家、と6軒もの住所を共に転々とした。その間全て移転は車で、良く耐えてくれたと思っている。
そのミーちゃんは昨年8月あの世に先に旅立ってしまった。
今も、毎朝お水をあげて「ご機嫌如何・・・?」と位牌に声をかけている。
ところで最近頓に、「自分の命」や「今まで過ごした日々」について考えることがある。
若い頃は、前に進みたい!、成長したい!、という思いが強く、学習もしたが他人に迷惑も沢山かけた。
最近は、今の自分を「保持したい」・・・「後何年生きるだろうか?」「今迄学習したことを他人に伝えたい」「恩返しとして少しでも社会に貢献したい」・・・
人間社会も高齢化しているのではなかろうか・・・以前には想像もしなかった事件が起きている・・・
そんな思いから、最近耳にする「成長」とか「成長率」とかいう言葉に疑問を感じる。
例えば、成長率を上げるために、夫人に労働を強いる!、外国の人を呼び寄せて日本人のために働かせる!・・・
そんなことで、健全な人間社会が保てるのだろうか??今でも社会秩序が損なわれているのに・・・
今日は「敬老の日」であるが、「老人を敬うことを考える日」であって欲しいものだ。
同様に、社会においても人口が減少することを念頭において、社会秩序をどのようにして保全するか考えて欲しいものだ!
経済活動がお金至上主義を産み、既に人間社会を無視した会社社会に変貌しつつある、所詮お金は媒介物で人の幸せが行き着く処ではないと、この年になってつくづく思う。