枕瀬付近の江戸時代の産業

「丑の検地」における区分け産業の種類
江戸時代の産業として、次のような種類のものが挙げられます。
①農業:稲作、畠作
②製紙:楮(コウゾ)生産、紙漉き
③櫨実:櫨実(ハゼノミ)生産、製蝋
④お茶:
⑤鉱業:砂鉄精錬の鈩(タタラ)産業
⑥林業:鈩用木炭
⑦川漁:鮎漁
⑧狩猟:猪、鹿
これらの中で、興味あることについて記述します。

耕地と生産力
地域の規模について知るために「丑の検地」による石高を生産力と見做すと、
耕地と生産力
枕瀬村での稲作は凡そ54.5石で、一石は人が一年で食べる量と言われますから、地元での生産高のみから考えると、50名程度が暮らせる耕地面積ですが、農業以外の生産活動が盛んだったようです。

製紙原料の楮の生産
製紙関係においては原料の楮の生産が盛んで、生産高において地域の上位にありました。

蝋の原料となる櫨実の生産
櫨実の生産においては、津和野藩全般の生産高が漸減する中で、枕瀬村では安政元年(1854年)から実施された産業振興策の成果によって増産に転じて、櫨実収納の功労者として枕瀬村民が褒美を受けたと伝えられています。

砂鉄精錬の鈩(たたら)産業
中国地方に良質の砂鉄が産出されることは昔から有名ですが、この産業は砂鉄の収集と精錬の二つに分けられます。
この地方では鈩に必要な炭の原料となる木材が豊富であることと、高津川の利用による運賃の安さから精錬作業の鈩産業が盛んでした。
渡し場である「枕瀬中場」が文化十三年(1816年)頃には鈩産業の要となり、水上交通のみならず須川村を経て美濃郡、那賀郡の津和野領に至る奥筋往還と交差し、益々その重要さを加えるとともに、砂鉄の保管管理だけでなく水路管理や造船修理など多くの仕事を請けたようです。

鮎を中心とする川漁
高津川を挟んで向かい合う枕瀬村と日原村は、多少の紛争はあったようですが、日原村が天領となる前の慣習を其の侭続行する形で鮎漁を共有したようです。

「日原町史:沖本常吉氏編纂」を参照