「ひまわり」と戦争

久しぶりに CD「世界のムード音楽」をかけていたら、ヘンリー・マンシーニの「ひまわり」が聴こえてきました。

この調べを聴くと必ずといって良いほど、ある思い出が胸を締め付け涙ぐみます。

脳裏に浮かぶのは、列車の中から広大なひまわり畑を涙ぐみながら見つめているソフィアローレンの姿です。

戦争から引き揚げた旦那を探して、遠くまで訪れ、すでに若い女性と暮らしている夫の姿を目にして、静かに去っていく哀れな姿です。

その次に現れるのが、青春時代に好きな女性を夜の駅のホームで見送った時の寂しい思いです。最後の姿でした。

今、ウクライナの情報を見聞きするとき、そんな思いが溢れて爆発しそうです。

人間って何故?? こんな馬鹿なことが出来るのでしょうか👽👽👽

情けないなー

我が道/83歳の誕生日を迎えて

あと何年生きれるのだろう?・・・誕生日を迎える度に考える年齢になりました。

 一昨年まではよき友に出会って、ライフワークにしている”地域の活性化“らしきことに取り組み、長年貯めたスキルで役に立てるように活動してきましたが、コロナ禍で活動が中断しています。

 ずいぶん前に、「スマホを使わない人は生活弱者になる」という記述に出会って、“地域の活性化”は、みんながスマホを使えるようにすることから始まると考えるようになり、2020年2月に「スマホでつながり発見隊」を計画して活動開始の準備をしていましたが、コロナ禍で不要不急の外出自粛が必要となり、もう1年以上も引きこもり状態でいます。

 高齢者の引きこもりは心身共に弱体化を引き起こします、気持ちだけでも何とかしなくちゃと脱炭素社会の調査を進めていますが、テーマが大きすぎて思う様に進めません。

 そこで、再度「スマホでつながり発見隊」に戻って、計画を練りなおしています。

1.企画を分かりやすく平易に

活動内容を想定しましたが、 気持ちが入りすぎて理屈っぽくなりました。このままでは理解し辛いので、わかり易い表現にします

2.活動パンフレットの作成

活動パンフレットは、スマホで見やすいネット記事になるようにします。

3.活動パンフレットをネットで発信

活動パンフレットの内容を動画に作成して、投稿します。

4.「スマホが活きる街の屋台」の出店を計画

スマホの上達は仲良くなることが一番! そのお手伝いをする「街の屋台」を計画します。

その後の君子欄

20190628リビングに退避した君子欄
20190628風雨を避けてリビングへ

だんだん老いていく君子欄の花たちですが、私の一ヶ月の退院後に咲き始めたので、皆さんから「君子欄が退院を喜んで咲いてくれた」と言われます。

特に、入院中ずっとLINEで励ましてくださった山本粉炭工業の専務さんからも、君子欄の気持ちを同じようにLINEで頂いて、感謝感謝です。

来年は咲くことが出来るのか心配です。今後の観察のため3本一纏めで春子ちゃんと呼んでいたのですが、一本毎に「長女、次女、末っ子」と呼び名を変えることにしました。

現在の最大の関心事は、末っ子の今後です。

今年花芽を出すのか?来年一番に芽を出すのか? 無理をしないでゆったりと咲いて欲しいです。

君子欄が今年2度目の花をつけた

今年の君子欄は、1月末に蕾を付けてから4月の中旬まで三本ある茎に次々と花が付いて長い間楽しませてくれた。その間、ずっとリビングにおいていたが、ゆっくり休んでもらうため、古い葉を剪定して日が当たるベランダに出した。

カミさんが驚いたように大きな声で「来て! 来て!」とベランダで騒ぐものだから、何事が起ったのだろうと、急いで行ってみるとー 一本の茎から花の芽が顔を出していた。

この君子欄との出会いは、島根から横浜へ帰ったとき不動産会社から貰ったのだから、もう15年も同居して、横浜から島根へ、そして山口へ、と一緒に移住している。

一昨年、山口に引っ越してくる前に、鉢が小さくなったので大きいものに変えると共に根切をして、昨年は咲いてくれるかと心配したのに、今年2度も咲いてくれるとは考えもしなかった。

カミさん曰く「とうさんの退院祝いに咲いてくれたのよ!」とー

毎朝、見るのが楽しみで、現在は3本中の2本が3日遅れ位で成長を続けている。

今後どのようになるのか楽しみだ。

今八幡宮まで散歩

入院してから毎日眺めていた今八幡宮まで来た。院内で歩くのと院外を歩くのが、こんなに違う! とは思わなかった‼️

石段の下で休み、明日は上まで登ろう❗️

今八幡宮の石段の下で一休み

と、ひっかえした。1ヶ月足らずの入院がこんなに弱気にするとは??思いもしなかった。

一人ぼっちになった


妹他界の訃報をうけた。覚悟はしていたがー 悲しく  さびしい、

通夜に行きたい、何もできなかったが、せめて最後に見送ってやりたい!

しかし、家内の大反対に屈して、両親の写真の前で「久枝がそちらへいったよ」と、久し振りに般若心経を唱えた。

翌朝、家内が僕を気遣って「実家に行こう!」と提案してくれた。

義姉さんと相談して、献花、香典の手配をして、やっと落ち着きを取り戻し、三人で昼食を食べた。

今年の5月、大学の同窓会で京都へ行ったとき、妹を見舞った。元気そうであったが、治療のために大きな痛手を受けていて、痛々しく長居は出来なかった。その時の握手の感覚と、帰りの電車の中から空ろに眺めた大阪の空が、今もなんとなく思い出される。

とうとう5人兄弟の中で自分だけが生き残り、一人ぼっちになった。

80才現役から80才代現役へ

本日、80才現役から80才代現役に成長した。
故郷へUターンしてから失望の連続でうろうろしたが、
隣町の山口市に引っ越して、やっと希望が持てるようになった。
やっと、居場所らしいものを見つけた。
現在、山口市シルバー人材センターに登録して、パソコン班に在籍し、
パソコンの利用方法をアドバイスする仕事を月に2日している。
横浜に居るときは年齢を感じることなく、
ジェネラルアドバイザーとしてNPOなどで自分の存在価値を認識しながら週に2~3日は出かけていた、
当地方へ帰ってからは年を重ねる毎に爺さんらしさを思い知らされ、
自分の居場所に納得できなかった。
人材センターに登録して、仲間が増え、自分の居場所が次第に分り、
最近はスマホ動画の専門家になりたくて励んでいる。
この年齢になると、ジェネラルでは最早通用しない。
何か秀でたところが必要である。
現在の自分にできることは、時間の利用である。
体の動きは鈍いが、まだまだ頭は使える!
有り余る時間を有効に使って、秀でるものを見つけることだ。
時間をかけて出来るところが居場所となりそうだ!
頑張るぞ!!

最近の動画:YouTube:「山口市 100円バスの小さな旅」

よかったら、チャネル登録をお願いします。