僕の辿った路 (サラリーマン編)

アールマンローダ性能調査
アールマンローダ性能調査

● 昭和36年(1961年)~
広大工学部機械工学科を卒業と共に九州にある機械メーカーへ就職。
半年間の実習後、機械設計5係へ配属、アールマンローダーの性能調査に携わる。その後配置転換で、
アスファルトプラント設計担当へ。
● 昭和44年(1969年)~
アスファルトプラントアフターサービスのため、名古屋市内に設計分室を設立し移転。

アスファルトプラント調査
アスファルトプラント調査

● 昭和45年(1970年)~
傘下に加わった舗装機械メーカーへアスファルトプラント設計のため出向、東京へ移転。
● 昭和51年(1976年)~
出向先がアスファルトプラントの製造販売から撤退したため、機械メーカーへ復職し、広島営業所勤務(一般産業機械営業)のため、広島へ移転。

 

トンネル貫通祝い
トンネル貫通祝い

● 昭和53年(1978年)~
本店産業機械営業部(建設機械課)の業務のため、東京へ移転。
● 昭和57年(1982年)~
小型シールド掘進機、コンクリート吹付ロボット開発のため、江戸川区の子会社へ出向。
● 昭和59年(1984年)~
高圧水併用掘削機研究開発のため、本店開発部へ復職。

関西国際空港埋め立て用 揚土船納入
関西国際空港埋め立て用 揚土船納入

● 昭和61年(1986年)~
大阪営業所業務のため、大阪へ単身赴任。

 

 

 

橋梁用深礎掘削機
橋梁用深礎掘削機

● 平成03年(1991年)~
開発部業務(深礎掘削機の開発)のため、東京へ復帰。

● 平成05年(1993年)6月
定年退職。

 

ショップ 「The Tree」
アンテナショップ The Tree Co

● 平成05年(1993年)7月
アミューズメント系会社へ再就職し横浜へ移転。
東京都健康プラザ「ハイジア」(新宿)の開館に伴い、
その正面右側に地域情報発信の小さなお店「The Tree Co」を出店し、その運営管理を担当する。
それ以降コーディネータとして横浜と地域を頻繁に往復。

 

エルダーヴィレッジ
エルダーヴィレッジ

羽田空港へ向かう早朝の満員電車の中は殆どが高齢者、
多分3K作業(キツイ・キタナイ・キケン)に携わる方々だろう。
それらの情景が心を動かし、健常高齢者の自活集団生活「Elder-Village」を構想する。

● 平成6年(1994年)
Elder-Village Master 育成のため新入社員1名が農業実習を開始、翌年1名追加。

● 平成8年(1996年)~平成12年(2000年)
横浜国際仮装行列コーディネート
詳細⇒横浜国際仮装行列

ますなだ塾
ますなだ塾
ますなだ市場
ますなだ市場

● 平成10年(1998年)
古いかやぶきの農家を回収した「ますなだ塾」と、国道から集落に入る間道の入り口に「ますなだ市場」を補助金を利用して設立。

 

アミューズメント系会社を定年退職し、
関連子会社の経営を引き受け、中山間地域コンサルタントとして業務を続ける。

農産物加工センター
農産物加工センター

● 平成12年(2000年)
補助金を利用して「農産物加工センター」を設立し、地元大豆に特化した豆腐を加工販売。
後に、市のブランド商品となる。

● 平成14年(2002年)5月
親会社の倒産により、関連子会社の経営が困難となり、辞職。

● 平成14年(2002年)7月 ~ 平成18年(2006年)
産業振興財団に経営アドバイザー(創業、経営、技術、知的財産関連)として再就職。

● 平成15年(2003年)~ 平成18年(2006年)
インキュベーションルーム入居審査委員及びインキュベーション相談支援。

農家レストラン
農家レストラン

● 平成15年(2003年)~ 平成20年(2008年)
地域づくり実践支援事業審査委員。