あの日/昭和20年の記録ーを観て

生きているのは僕だけ8月14日、しなければならない宿題が溜まっているが、どうしても机の前に座れない、「お盆の一日の休暇」と諦めて、テレビの前に寝っ転んだ。

偶々、NHKテレビで「あの日/昭和20年の記録」を放映していた。それは、終戦日前の日から日を追って後の日の新聞記事を色々な方が見て、その日のことを思い出して語るシーンと、現存するこれまた色々な人、例えば徳川無声、山田風太郎、などなどの書き残した日記を披露していた。

僕は、終戦の年は7歳で国民学校1年生だった。島根県の片田舎(津和野)に生まれたので、疎開の経験も、怖い思いをした経験もないが、8月6日の広島への原爆投下の時の音を聞いたことと、天皇陛下の終戦の放送を聞いている人々を見たことは憶えている。

原爆の音は「どろ~ん」という鈍い音で東の方向にある青野山の方から聞こえた。広島の方向とは少し違い多分反射音だったのだろうと思う。

玉音放送は、一緒に暮らしていた叔母さんが持っていたラジオの前に近所の人達(女の人ばかり)が正座して泣いていた光景を思い出す。

今日のテレビでは、都会で暮らしていた人々、海外で暮らしていた人々、みなさん大変な苦労をされたことを改めて実感した。

戦争をしてはならない。勇気をもって避けねばならない。一部の人間のエゴのために一般の人々がどれだけ迷惑を被り不幸になるか、これは戦争以外にも最近頻繁に感じるようになったことだが・・・